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「浅田恵一」の版間の差分

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==経歴==
==経歴==
[[大阪府]][[中河内郡]][[孔舎衙村]](現在の[[東大阪市]])出身。[[1911年]](明治44年)、[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法科大学]]独法科を卒業{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}。[[大蔵省]]に入り、[[大蔵省専売局|専売局]]勤務、[[理財局]]勤務、[[財務省主税局|主税局]]勤務を経て、板橋税務署長を務めた{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}。その後、宮内省に転じ、宮内[[事務官]]宮内省[[参事官]]、宮内[[書記官]]、帝室林野局事務官・帝室林野局庶務課長、内蔵寮財務課長、内蔵寮主計課長宮内省首席参事官などを歴任{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。[[1936年]](昭和11年)、宮中顧問官となり、翌年に退官した{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。[[短歌]]の結社「華陽会」に加わり、会報に投句した。
[[大阪府]][[中河内郡]][[孔舎衙村]](現在の[[東大阪市]])出身。[[1911年]](明治44年)、[[東京大学|東京帝国大学]][[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|法科大学]]独法科を卒業{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}。[[大蔵省]]に入り、[[大蔵省専売局|専売局]]勤務、[[理財局]]勤務、[[財務省主税局|主税局]]勤務{{sfn|『昭和財政史資料』|1928|id= A08072037900(平15財務0025310-2)}}を経て、板橋税務署長を務めた{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}。その後、宮内省に転じ{{sfn|『官報』|1915|page=310|loc= 敍任及辞令 / 淺田惠一等(大礼使)|quote=長官官房勤務ヲ命ズ}}、宮内[[事務官]]{{sfn|『官報』|1917|page= 899|loc= 授爵・敍任及辞令 - / - / 淺田惠一等(宮内省)|quote= 大臣官房調査課長事務取扱ヲ命ズ 宮内庁書記官浅田恵一}}から同[[参事官]]、[[奏任官|書記官]]を務め、帝室林野局事務官・庶務課長{{sfn|『御料林』|1932a|pages= 17-61}}{{sfn|『御料林』|1932b|pages= 12-46}}{{sfn|『御料林』|1932c|pages= 8-67}}{{sfn|『御料林』|1932d|pages= 2-27}}{{sfn|『御料林』|1932e|pages= 91-95}}{{sfn|『御料林』|1939|pages= 90-94}}、内蔵寮財務課長・同主計課長から宮内省首席参事官に転じた{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}{{sfn|国葬記録|1934|id=A10110744200}}{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}{{sfn|公文類聚第58編・昭和9年・第16巻|1934|loc=「喪儀ノ式ヲ決定ス(東郷平八郎侯爵、元師海軍大将)」}} 。[[1936年]](昭和11年)、宮中顧問官となり、翌年に退官した{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。[[短歌]]の結社「華陽会」に加わり、[[:浅田恵一#華陽集|#会報]]に投句した{{sfn|浅田恵一、秋山光夫|1925a|pages= 37-40}}{{sfn|浅田恵一ほか|1925b|pages= 60-62}}{{sfn|浅田恵一ほか|1926|pages= 46-47}}


退官後は[[日本郵船|日本郵船株式会社]]監査役を務めた{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。
退官後は[[日本郵船|日本郵船株式会社]]監査役を務めた{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。

==親族==
==親族==
* [[木本源吉]] - 妻の兄{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。[[日本の国会議員|衆議院議員]]。[[奈良市|奈良市長]]。
* [[木本源吉]] - 妻の兄{{sfn|大衆人事録|1930|ref=ta}}{{sfn|人事興信録|1941|ref=ji}}。[[日本の国会議員|衆議院議員]]。[[奈良市|奈良市長]]。
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* 広瀬善蔵 『木曽御料林愛護論』(伊東淳、1920年){{NCID|BA48127842}}。序文を寄稿。
* 広瀬善蔵 『木曽御料林愛護論』(伊東淳、1920年){{NCID|BA48127842}}。序文を寄稿。
;翻訳
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* [[:en:Paul Warburg|ポール・エム・ウァールバーグ]]{{en icon}}『米国[[外貨準備|正貨準備制度]]の本質』浅田 恵一 訳補(内外書房、1932年)。{{NCID|BA38653394}}。Warburg, Paul M.(Paul Moritz)
* {{仮リンク|ポール・ウォーバーグ|en|Paul Warburg|label=ポール・M・ウァールバーグ}}『米国[[外貨準備|正貨準備制度]]の本質』浅田 恵一 訳補(内外書房、1932年)。{{NCID|BA38653394}}。Warburg, Paul M.(Paul Moritz)
** 再版(内外書房、1932年)。{{NCID|BN05448631}}
** 再版(内外書房、1932年)。{{NCID|BN05448631}}
;寄稿
;寄稿
* 『御料林』帝室林野局林野会、1928-。<雑41-13>
* 『御料林』帝室林野局林野会、1928年&ndash;1941年。<雑41-13>
* {{cite journal|和書|editor= 華陽会 |journal= {{Visible anchor|華陽集}}|publisher= 華陽会 |year= 1929|ref={{sfnref|『華陽集』|1929}}|date= 昭和4年|doi=10.11501/1188083}}
** 48号「兌換停止下に於ける我国財界の解説(承前)(二)」1932-05、17-61頁。{{DOI|10.11501/1540002}}
* {{cite book|和書|editor= 通貨制度研究会 |title= 通貨制度研究会報告|issue= 第1輯|publihser= [[東洋経済新報社|東洋経済]]出版部|year=1934|ref={{sfnref|『通貨制度研究会報告』|1934}}|doi=10.11501/1903251}}閲覧は国立国会図書館内限定公開、デジタル化資料は図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
** 49号「兌換停止下に於ける我国財界の解説(承前)(三」1932-0612-46頁。{{DOI|10.11501/1540003}}
* {{cite journal|和書|journal= 心の花|publisher=竹柏会|date=1922年(昭和3年)&ndash;|year=1922}}<Z13-328>:華陽会『[[:浅田恵一#華陽集|華陽集]]』への投句転載。
** 7月号(通号50)「兌換停止下に於ける我国財界の解説(承前四)」1932-07、8-67頁。{{DOI|10.11501/1540004}}。
:{{bulleted list
** 8月号(通号51)「兌換停止下に於ける我国財界の解説1932-082-27頁。{{DOI|10.11501/1540005}}
** 11月(通号54)小津代表農林大臣盃獲得記1932-11、91-95頁。{{DOI|10.11501/1540008}}。
|第28巻第10号「はなたちばな批評77-88。浅田恵一ほか。{{Doi|10.11501/6061357}}。
|第38巻第3号「春山集」1934年3月、98-101頁。
** 136号「日録漫筆の一節」1939-09、90-94頁。{{DOI|10.11501/1540090}}。
|同{{0}}第5号「薫風集」1934年5月、87-88頁。浅田恵一、三宅敬一郎、杉村愛仁、野村洋三、南部助之丞、河村亮。
** 154号「[[三矢宮松]]氏に欽羨する諸点」1941-03、103-106頁。{{DOI|10.11501/1540107}}。
|同{{0}}第6号「青葉集」1934年6月、84-87頁。二上兵治、有吉忠一、北村幽渓、松平乗統、浅田恵一、南部助之丞。
* 華陽会 編『華陽集』(華陽会、1929年)(昭和4年){{DOI|10.11501/1188083}}。
|第40巻第2号「二月集(その3)」1936年2月、60-91頁。福原俊丸、二上兵治、西川義方、山川一郎、浅田恵一ほか。
* 通貨制度研究会 編『通貨制度研究会報告第1輯東洋経済出版部1934年。{{DOI|10.11501/1903251}}閲覧は国立国会図書館内限定公開、デジタル化資料は図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
|第41巻第1号「一月集(その3)」1937年1月、49-66頁。二荒芳徳、二上兵治、関屋貞三郎、西川義方、山川一郎、浅田恵一ほか。
* 心の花竹柏会1922年(昭和3年)以降。<Z13-328>:華陽会『華陽集』への投句転載された
|第44巻(第2号(502)「二月集(その4)」1940年2月。49-71頁。梶原穠子、田村東江、佐藤芳子、中村文香、浅田恵一ほか。
**第28巻第10号、第29巻(第6、8号)、第30巻第7号、第38巻(第3、5、6号)、第40巻第2号、第41巻第1号、第44巻(第2号(502)、第3号(503)、第4号(504)、第7号(507)、第11号(511)。
|同{{0}}第3号(503)「三月集(その3)」1940年3月。43-70頁。水田栄雄、山口覚、弓削幸太郎、吉野又四郎、浅田恵一ほか。

|同{{0}}第4号(504)「四月集(その3)」1940年4月。33頁、36-66頁。 山口覚、弓削幸太郎、吉野又四郎、渡邊富三郎、浅田恵一ほか。
|同{{0}}第7号(507)「七月集(その4)」1940年7月。57-74頁。三木信之、夜久虎之助、弓削幸太郎、小原喜三郎、浅田恵一ほか。
|同{{0}}第11号(511)「十一月集(その5)」1940年11月。75-110頁。夜久虎之助、弓削幸太郎、吉野又四郎、渡邊富三郎、淺田惠一ほか。
}}
== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
本文の典拠。主な執筆者、編者の順。
本文の典拠。主な執筆者、編者の順。
* {{Cite journal|和書|editor= 大蔵省印刷局 |journal=官報 |date= 大正4年08月16日 |issue= 912 |id= {{国立国会図書館書誌ID|000000078538-d2953020}} |publisher= 日本マイクロ写真(製作)|year=1915|doi= 10.11501/2953020|ref={{sfnref|『官報』|1915}}|page=310|title= 敍任及辞令 - / - / 淺田惠一等(大礼使}}
* {{Cite journal|和書|editor= 大蔵省印刷局 |journal=官報 |date=大正6年12月28日 |issue= 1623 |id= {{国立国会図書館書誌ID|000000078538-d2953736}}
|publisher= 日本マイクロ写真(製作)|year= 1917|doi= 10.11501/2953736|ref={{sfnref|『官報』|1917}}|page= 899|title= 授爵・敍任及辞令 - / - / 淺田惠一等(宮内省)}}
* {{cite book|和書|author=人事興信所編|title=人事興信録 第13版(上)|publisher=人事興信所|year=1941|ji}}
* {{cite book|和書|author=人事興信所編|title=人事興信録 第13版(上)|publisher=人事興信所|year=1941|ji}}
* {{cite book|和書|author=帝国秘密探偵社編|title=大衆人事録 第3版|publisher=帝国秘密探偵社|year=1930|ta}}
* {{cite book|和書|author=帝国秘密探偵社編|title=大衆人事録 第3版|publisher=帝国秘密探偵社|year=1930|ta}}
『御料林』帝室林野局林野会
:{{bulleted list
| {{cite journal|和書|journal=<!-- 御料林 -->|publisher=<!-- 帝室林野局林野会 -->|issue=48号
|title= [[:金解禁#ドル買事件と金解禁の挫折|兌換停止下]]に於ける我国財界の解説(承前)(2)|date=1932-05|year=1932|ref={{sfnref|『御料林』|1932a}}|pages= 17-61|DOI=10.11501/1540002}}
| {{cite journal|和書|journal=<!-- 御料林 -->|publisher=<!-- 帝室林野局林野会 -->|issue=49号
|title= 兌換停止下に於ける我国財界の解説(承前)(3)|date=1932-06|year=1932|ref={{sfnref|『御料林』|1932b}}|pages= 12-46|doi=10.11501/1540003}}
|{{cite journal|和書|journal=<!-- 御料林 -->|publisher=<!-- 帝室林野局林野会 -->|issue= 7月号(通号50)
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| {{cite journal|和書|journal=<!-- 御料林 -->|publisher=<!-- 帝室林野局林野会 -->|issue=136号|title= 日録漫筆の一節|date=1939-09|year= 1939|ref={{sfnref|『御料林』|1939}}|pages= 90-94|doi=10.11501/1540090}}
| {{cite journal|和書|journal=<!-- 御料林 -->|publisher=<!-- 帝室林野局林野会 -->|issue=154号|title= [[三矢宮松]]氏に欽羨する諸点|date=1941-03|year= 1941|ref={{sfnref|『御料林』|1941}}|pages= 103-106|doi=10.11501/1540107}}
}}
『心の花』発行年順。
* {{cite journal|和書|journal= 心の花 |publisher= 竹柏会 |date= 1925-06|year= 1925|volume= 29|issue= 6 |title= 華陽集(短歌)|others= 華陽会同人:浅田恵一、秋山光夫|ref={{sfnref|浅田恵一、秋山光夫|1925a}}|pages= 37-40 |doi= 10.11501/6061365|id={{国立国会図書館書誌ID|000000008595-d6061365}}}}
* {{cite journal|和書|journal= 心の花 |publisher= 竹柏会 |date= 1925-08|year= 1925|volume= 29|issue= 8 |title= 華陽集(短歌)|others= 浅田恵一、秋山光夫、落合為誠、鹿児島虎雄、芝葛盛|ref={{sfnref|浅田恵一ほか|1925b}}|pages= 60-62 |doi= 10.11501/6061367|id={{国立国会図書館書誌ID|000000008595-d6061367}}}}
* {{cite journal|和書|journal= 心の花 |publisher= 竹柏会 |date= 1926-07|year= 1926|volume= 30|issue= 7|title= 華陽会詠草(短歌)|others= 浅田恵一、秋山光夫、加賀谷慶三、柴葛盛、鈴木重孝|ref={{sfnref|浅田恵一ほか|1926}}|pages= 46-47 |doi= 10.11501/6061378|id={{国立国会図書館書誌ID|000000008595-d6061378}} }}
辞令、発令順。
* {{cite book|和書|chapter=大蔵省事務官 大礼使調度部事務分担|title=昭和財政史資料|issue=第3号第1冊|ref={{sfnref|『昭和政史資料』|1928}}|year=1928|date=昭和3年1月18日|id= A08072037900(平15財務0025310-2)}}
* {{Cite book|和書|title=新聞集成昭和編年史 |publisher=新聞資料出版 |chapter=(1929年)12月22日:宮内省異動・淺田恵一他 |date=1990-01 |year=1990 |ref={{sfnref|明治大正昭和新聞研究会(昭和4年度版 4)|1990}}|page=865 |others=明治大正昭和新聞研究会 編集製作 |edition=昭和4年度版 4(1929年10月-12月) |doi=10.11501/12397066 |id={{国立国会図書館書誌ID|000002028184}}、{{全国書誌番号|90022131}}}}(所蔵館:国立国会図書館)。
* {{cite book|和書|chapter= 第3編第2章:次第:内閣官房総務課長、浅田恵一(宮内省参事官)、有馬良橘(葬儀委員長)|title= 故元帥海軍大将侯爵東郷平八郎国葬記録:4(昭和9年=1934年5月30日薨去)|issue= 葬00067100-18|year= 1934|ref={{sfnref|国葬記録|1934}}|date=昭和9年6月1日|id=A10110744200}}
* {{cite book|和書|quote= [[子爵]][[齊藤實]](内閣総理大臣)、有馬良橋(葬儀委員長)、浅田恵一(宮内省参事官)|chapter=喪儀ノ式ヲ決定ス([[東郷平八郎]]侯爵、元師海軍大将)|title= 公文類聚・第58編・昭和9年・第16巻・族爵・爵位・勲章記章、儀典・儀礼・服制徽章・国葬|issue= 公文類聚第58編(昭和元年-20年)|id=類01863100-21(A14100413500)|year= 1934|ref={{sfnref|公文類聚第58編・昭和9・第16巻|1934}}|date=昭和9年6月1日}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{Reflist}}
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|30em}}


== 関連資料 ==
== 関連資料 ==
脚注に未使用のもの。発行年順。
脚注に未使用のもの。発行年順。<br />辞令の記録ほか。特記するものを除き、[[国立公文書館]]の収蔵資料
* 伯爵[[大隈重信]]([[内閣総理大臣]])、[[若槻礼次郎]](大蔵大臣)「税務監督局技師副島昌外18名叙位ノ件」『叙位裁可書・大正4年・叙位巻2』叙00446100-6、大正3年(1914年)12月26日&ndash;大正4年(1915年)1月16日。A11112411100。
<br />
* 大蔵省大礼使長官官房主任「大礼使各部事務連絡掛官」『昭和財政史資料第3号第1冊平15財務0025310-4、1928年(昭和3年)1月26日。A08072038100。
辞令の記録ほか。特記するものを除き、[[国立公文書館]]の収蔵資料。
* 浅田恵一「事務連絡打合要項(第1回及第2回)」『昭和財政史資料』第2号第4冊、平15財務00172100-14、1928年(昭和3年)2月20日。A08071822700。
* 伯爵[[大隈重信]]([[内閣総理大臣]])、[[若槻礼次郎]](大蔵大臣)「税務監督局技師副島昌外18名叙位ノ件」『叙位裁可書・大正4年・叙位巻2』叙00446100-6、大正3年12月26日大正4年1月16日。A11112411100。
* [[海軍]]「特別大演習[[観艦式]]陪観券交付人名通知の件、特務士官現住所に関する件」『儀制 [[海軍大臣]]官房記録』昭和8年(6)〈公文備考C巻10〉、1933年、[[海軍省]]-公文備考-S8-43-4483(所蔵館:防衛省[[防衛研究所]])50。C05022669700。
* 大蔵省事務官大礼使調度部事務分担」『昭和財政史資料第3号第1冊』平15務00253100-4、1928年(昭和3年)1月18日。A08072037900。
* 『マニラ新聞』194412月21日(所蔵館:[[スタンフォード大学]][[フーヴァー研究所]])2、昭和19年12月21日。J23031811000
* 大蔵省大礼使長官官房主任「大礼使各部事務連絡掛官」『昭和財政史資料第3号第1冊平15財務0025310-2、1928年(昭和3年)1月26日。A08072038100。
* 浅田恵一事務連絡打合要項(第1回及第2回)」『昭和財政史資料第2号第4平15財務00172100-14、1928年(昭和3年)2月20日A08071822700
* 大蔵省大礼記録編纂委員会職員名簿」『昭和財政史資料3号第1平15財務00253100-3。A08072041500
*明治大正昭和新聞研究会 編 「宮内省異動・淺田恵一他」『新聞集成昭和編年史』昭和4年度版4(1929年10月~12月)、新聞資料出版、1990-01、865頁。{{DOI|10.11501/12397066}}、{{全国書誌番号|90022131}}。(所蔵館:国立国会図書館)。
** [[子爵]][[齊藤實]](内閣総理大臣)、有馬良橋(葬儀委員長)、浅田恵一(宮内省参事官)。「喪儀ノ式ヲ決定ス([[東郷平八郎]]侯爵、元師海軍大将)公文類聚・第58編・昭和9年・第16巻・族爵・爵位・勲章記章、儀典・儀礼・服制徽章・国葬公文類聚第58編・昭和9年(昭和元年-20年)類01863100-21、1934年昭和9年)6月1日。A14100413500。
* [[海軍]]「特別大演習[[観艦式]]陪観券交付人名通知の件、特務士官現住所に関する件」『儀制 [[海軍大臣]]官房記録』昭和8(6)〈公文備考C巻10〉、1933年、[[海軍省]]-公文備考-S8-43-4483(所蔵館:防衛省[[防衛研究所]])50。C05022669700。
* 内閣官房総務課長、浅田恵一(宮内省参事官)、有馬良橘(葬儀委員長)「第3編第2章:次第」『故元帥海軍大将侯爵東郷平八郎国葬記録:4』(昭和9年5月30日薨去)葬00067100-181934年(昭和9年)6月1日A10110744200
* 『マニラ新聞』1944.12.21(所蔵館:[[スタンフォード大学]][[フーヴァー研究所]])2、1944年(昭和19年)12月21日。J23031811000
* 大蔵省「大礼記録編纂委員会職員名簿」『昭和財政史資料第3号第1冊』平15財務00253100-3。A08072041500。


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
* [[即位の礼#大正の即位の礼|大正の即位の礼]](1915年) 浅田が大礼使事務官を務めた。
* [[即位の礼#大正の即位の礼|大正の即位の礼]](1915年) 浅田が大礼使事務官を務めた。
* [[金解禁#ドル買事件と金解禁の挫折|兌換停止]](1931年) 同、帝室林野局職員時代に解説を発表。
* [[金解禁#ドル買事件と金解禁の挫折|兌換停止]](1931年) 同、帝室林野局職員時代に解説を発表。
* [[東郷平八郎]]の喪儀(1934年) 同、宮内省参事官として式運営に当たった。
* [[東郷平八郎]]の喪儀(1934年) 同、宮内省参事官として式運営に当たった。葬儀委員長は[[有馬良橘]]
『華陽集』同人

{{div col|2=15em}}
* [[秋山光夫]]
* [[有吉忠一]]
* [[杉栄三郎]]
* [[関屋貞三郎]]
* [[西川義方]]
* [[二上兵治]]
* [[二荒芳徳]]
* [[松平乗統 (子爵)]]
* [[弓削幸太郎]]
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浅田 恵一(あさだ けいいち、1885年明治18年)6月17日[1] - 1944年昭和19年)12月18日[2])は、日本宮内官僚宮中顧問官

経歴

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大阪府中河内郡孔舎衙村(現在の東大阪市)出身。1911年(明治44年)、東京帝国大学法科大学独法科を卒業[1]大蔵省に入り、専売局勤務、理財局勤務、主税局勤務[3]を経て、板橋税務署長を務めた[1]。その後、宮内省に転じ[4]、宮内事務官[5]から同参事官、同書記官を務め、帝室林野局事務官・同庶務課長[6][7][8][9][10][11]、内蔵寮財務課長・同主計課長から宮内省首席参事官に転じた[1][12][13][14]1936年(昭和11年)、宮中顧問官となり、翌年に退官した[13]短歌の結社「華陽会」に加わり、#会報に投句した[15][16][17]

退官後は日本郵船株式会社監査役を務めた[13]

親族

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主な著作

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旧漢字は新字に改めた。

共著
  • 広瀬善蔵 『木曽御料林愛護論』(伊東淳、1920年)NCID BA48127842。序文を寄稿。
翻訳
寄稿
  • 『御料林』帝室林野局林野会、1928年–1941年。<雑41-13>
  • 華陽会(編)『華陽集』、華陽会、昭和4年、doi:10.11501/1188083 
  • 通貨制度研究会 編『通貨制度研究会報告』第1輯、1934年。doi:10.11501/1903251 閲覧は国立国会図書館内限定公開、デジタル化資料は図書館・個人送信対象、遠隔複写可。
  • 『心の花』、竹柏会、1922年(昭和3年)–。 <Z13-328>:華陽会『華陽集』への投句を転載。
  • 第28巻第10号「はなたちばな批評」77-88頁。浅田恵一ほか。doi:10.11501/6061357
  • 第38巻第3号「春山集」1934年3月、98-101頁。
  • 0第5号「薫風集」1934年5月、87-88頁。浅田恵一、三宅敬一郎、杉村愛仁、野村洋三、南部助之丞、河村亮。
  • 0第6号「青葉集」1934年6月、84-87頁。二上兵治、有吉忠一、北村幽渓、松平乗統、浅田恵一、南部助之丞。
  • 第40巻第2号「二月集(その3)」1936年2月、60-91頁。福原俊丸、二上兵治、西川義方、山川一郎、浅田恵一ほか。
  • 第41巻第1号「一月集(その3)」1937年1月、49-66頁。二荒芳徳、二上兵治、関屋貞三郎、西川義方、山川一郎、浅田恵一ほか。
  • 第44巻(第2号(502)「二月集(その4)」1940年2月。49-71頁。梶原穠子、田村東江、佐藤芳子、中村文香、浅田恵一ほか。
  • 0第3号(503)「三月集(その3)」1940年3月。43-70頁。水田栄雄、山口覚、弓削幸太郎、吉野又四郎、浅田恵一ほか。
  • 0第4号(504)「四月集(その3)」1940年4月。33頁、36-66頁。 山口覚、弓削幸太郎、吉野又四郎、渡邊富三郎、浅田恵一ほか。
  • 0第7号(507)「七月集(その4)」1940年7月。57-74頁。三木信之、夜久虎之助、弓削幸太郎、小原喜三郎、浅田恵一ほか。
  • 0第11号(511)「十一月集(その5)」1940年11月。75-110頁。夜久虎之助、弓削幸太郎、吉野又四郎、渡邊富三郎、淺田惠一ほか。

参考文献

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本文の典拠。主な執筆者、編者の順。

  • 大蔵省印刷局(編)「敍任及辞令 - / - / 淺田惠一等(大礼使」『官報』第912号、日本マイクロ写真(製作)、大正4年08月16日、310頁、doi:10.11501/2953020国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2953020 
  • 大蔵省印刷局(編)「授爵・敍任及辞令 - / - / 淺田惠一等(宮内省)」『官報』第1623号、日本マイクロ写真(製作)、大正6年12月28日、899頁、doi:10.11501/2953736国立国会図書館書誌ID:000000078538-d2953736 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版(上)』人事興信所、1941年。 
  • 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。 

『御料林』帝室林野局林野会

『心の花』発行年順。

辞令、発令順。

  • 「大蔵省事務官 大礼使調度部事務分担」『昭和財政史資料』第3号第1冊、昭和3年1月18日。A08072037900(平15財務0025310-2)。 
  • 「(1929年)12月22日:宮内省異動・淺田恵一他」『新聞集成昭和編年史』明治大正昭和新聞研究会 編集製作(昭和4年度版 4(1929年10月-12月))、新聞資料出版、1990年1月、865頁。doi:10.11501/12397066国立国会図書館書誌ID:000002028184全国書誌番号:90022131 (所蔵館:国立国会図書館)。
  • 「第3編第2章:次第:内閣官房総務課長、浅田恵一(宮内省参事官)、有馬良橘(葬儀委員長)」『故元帥海軍大将侯爵東郷平八郎国葬記録:4(昭和9年=1934年5月30日薨去)』葬00067100-18、昭和9年6月1日。A10110744200。 
  • 「喪儀ノ式ヲ決定ス(東郷平八郎侯爵、元師海軍大将)」『公文類聚・第58編・昭和9年・第16巻・族爵・爵位・勲章記章、儀典・儀礼・服制徽章・国葬』公文類聚第58編(昭和元年-20年)、昭和9年6月1日。類01863100-21(A14100413500)。「子爵齊藤實(内閣総理大臣)、有馬良橋(葬儀委員長)、浅田恵一(宮内省参事官)」 

脚注

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  1. ^ a b c d e 大衆人事録 1930.
  2. ^ 『朝日新聞』(東京本社発行)1944年12月20日朝刊、2頁。
  3. ^ 『昭和財政史資料』 1928.
  4. ^ 『官報』 1915, p. 310, 敍任及辞令 / 淺田惠一等(大礼使).
  5. ^ 『官報』 1917, p. 899, 授爵・敍任及辞令 - / - / 淺田惠一等(宮内省).
  6. ^ 『御料林』 1932a, pp. 17–61.
  7. ^ 『御料林』 1932b, pp. 12–46.
  8. ^ 『御料林』 1932c, pp. 8–67.
  9. ^ 『御料林』 1932d, pp. 2–27.
  10. ^ 『御料林』 1932e, pp. 91–95.
  11. ^ 『御料林』 1939, pp. 90–94.
  12. ^ 国葬記録 1934.
  13. ^ a b c d 人事興信録 1941.
  14. ^ 公文類聚第58編・昭和9年・第16巻 1934, 「喪儀ノ式ヲ決定ス(東郷平八郎侯爵、元師海軍大将)」.
  15. ^ 浅田恵一、秋山光夫 1925a, pp. 37–40.
  16. ^ 浅田恵一ほか 1925b, pp. 60–62.
  17. ^ 浅田恵一ほか 1926, pp. 46–47.

関連資料

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脚注に未使用のもの。発行年順。
辞令の記録ほか。特記するものを除き、国立公文書館の収蔵資料。

  • 伯爵大隈重信内閣総理大臣)、若槻礼次郎(大蔵大臣)「税務監督局技師副島昌外18名叙位ノ件」『叙位裁可書・大正4年・叙位巻2』叙00446100-6、大正3年(1914年)12月26日–大正4年(1915年)1月16日。A11112411100。
  • 大蔵省大礼使長官官房主任「大礼使各部事務連絡掛官」『昭和財政史資料』第3号第1冊、平15財務0025310-4、1928年(昭和3年)1月26日。A08072038100。
  • 浅田恵一「事務連絡打合要項(第1回及第2回)」『昭和財政史資料』第2号第4冊、平15財務00172100-14、1928年(昭和3年)2月20日。A08071822700。
  • 海軍「特別大演習観艦式陪観券交付人名通知の件、特務士官現住所に関する件」『儀制 海軍大臣官房記録』昭和8年(6)〈公文備考C巻10〉、1933年、海軍省-公文備考-S8-43-4483(所蔵館:防衛省防衛研究所)50。C05022669700。
  • 『マニラ新聞』1944年12月21日(所蔵館:スタンフォード大学フーヴァー研究所)2、昭和19年12月21日。J23031811000
  • 大蔵省「大礼記録編纂委員会職員名簿」『昭和財政史資料』第3号第1冊、平15財務00253100-3。A08072041500。

関連項目

[編集]

『華陽集』同人