コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

大塚和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおつか かのう
大塚 和
大塚 和
映画評論』1965年7月号より。
生年月日 (1915-07-18) 1915年7月18日
没年月日 (1990-09-26) 1990年9月26日(75歳没)
出生地 日本の旗 高知県長岡郡田村(現・南国市田村
職業 映画プロデューサー、映画プロダクション経営者
ジャンル 映画
活動期間 1937年 - 1986年
著名な家族 和田俊(娘婿)
ダースレイダー(孫)
受賞
ブルーリボン賞
企画賞(1965年)
その他の賞
ミリオンパール賞(1965年)
日本映画テレビプロデューサー協会賞(1973年)
テンプレートを表示

大塚 和(おおつか かのう、1915年7月18日 - 1990年9月26日)は、日本映画プロデューサー、映画プロダクション社長。1955年に日活とプロデューサー契約を結び、今村昌平浦山桐郎藤田敏八神代辰巳長谷川和彦ら13名もの新人監督を世に送り出したことで知られる[1]

来歴

[編集]

高知県長岡郡田村(現・南国市田村)に生まれる。父親は開業医で、9人姉弟の末っ子[1]

1937年、東京外国語学校ロシア語科(現・東京外国語大学)卒業[2]。映画世界社に入社。1943年、同社が戦時雑誌統合令によって解散したため、都新聞社(現・東京新聞社)文化部に転職した[1]

1946年、再開した映画世界社に復職。『映画ファン』の編集長になる。1949年、同社を退社。雑誌『映画手帖』『淑女』などの創刊に携わる[1]

1951年、宇野重吉に誘われて劇団民藝に参加。同年、民藝の第1回映画作品となる『三太と花荻先生』を製作。以後民藝映画として、『母のない子と子のない母と』『夜明け前』『あやに愛しき』などの製作を手掛けた。

1955年、日活とプロデューサー契約を結ぶ。1957年、劇団民藝の映画部が民藝映画社として独立し、同社の社長に就任[2]

1958年5月、今村昌平の監督第1作『盗まれた欲情』が公開。同作品のプロデューサーを務め、今村の映画には以後「企画」名義で『果しなき欲望』(1958年)、『豚と軍艦』(1961年)、『にっぽん昆虫記』(1963年)を製作。1958年以降は企画という立場で、中平康の『その壁を砕け』『泥だらけの純情』、浦山桐郎の『キューポラのある街』『非行少女』『私が棄てた女』、熊井啓の『日本列島』、鈴木清順の『けんかえれじい』、蔵原惟繕の『執炎』『愛と死の記録』『愛の渇き』、若杉光夫の『ガラスの中の少女』『サムライの子』、滝沢英輔の『しろばんば』『出撃』、藤田敏八の『非行少年 陽の出の叫び』『八月の濡れた砂』、神代辰巳の『かぶりつき人生』などの製作を手掛けた。

映画評論』1965年7月号は「日本映画の影の推進者―大塚和とその作品」と題する巻頭記事を掲載した。執筆者の虫明亜呂無は次のように書き記した[3]

大塚和のひきいる前述の一連の作家たち(注・今村昌平、中平康、浦山桐郎、蔵原惟繕、西村昭五郎ら)は、独特な題材と表現により、ユニークなクランをかたち作っている。ふしぎに、それは、戦前の日活多摩川派と称せられた内田吐夢田坂具隆らのクランとも、どこかで似かよった性格をもっている。おそらく、もっとも庶民の卑近な願望と希求と痛恨を繰返し表現することによって。生活の体臭を強烈に発散することによって。 — 『映画評論』1965年7月号、7-9頁。

1969年、蔵原惟繕、浦山桐郎、熊井啓、藤田敏八、吉田憲二、神代辰巳、河辺和夫ら7人の監督と「えるふプロダクション」を設立[1]。1970年、ATGと提携して『地の群れ』を製作した。

1973年、山本薩夫の『戦争と人間』三部作を最後に日活との契約を解消。同時に民藝映画社も退社した。

1975年、綜映社を三浦波夫らと設立。黒木和雄の『祭りの準備』(制作:綜映社・ATG・映画同人社)のプロデューサーを務めた。

1976年、長谷川和彦の『青春の殺人者』(制作:今村プロ・綜映社・ATG)のプロデューサーを今村昌平とともに務めた。

1986年、熊井啓の『海と毒薬』を製作。藤本賞特別賞を受賞した。

1990年9月26日、脳血栓で死去。75歳没。1992年9月、大塚公子が編纂した『大塚和 映画と人生』が出版される。えーけーあい企画出版。ジャーナリストの和田俊は娘婿、ラッパーのダースレイダーは孫[4]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e 大塚和”. 綜映社 公式サイト. 2023年9月15日閲覧。
  2. ^ a b 大塚 和(オオツカ カノウ)”. コトバンク. 2023年9月15日閲覧。
  3. ^ 虫明亜呂無「日本映画の影の推進者―大塚和とその作品」 『映画評論』1965年7月号、7-9頁。
  4. ^ 時事問題斬る異色ラッパー・ダースレイダーさん 1/18高知で初ライブ”. 高知新聞. 2021年3月18日閲覧。

参考文献

[編集]
  • 大塚公子 編『大塚和 映画と人生』えいけいあい企画、1992年9月。 

外部リンク

[編集]