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仙寿院 (渋谷区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
新日暮里から転送)
仙寿院
所在地 東京都渋谷区千駄ヶ谷2-24-1
位置 北緯35度40分32.4秒 東経139度42分42秒 / 北緯35.675667度 東経139.71167度 / 35.675667; 139.71167座標: 北緯35度40分32.4秒 東経139度42分42秒 / 北緯35.675667度 東経139.71167度 / 35.675667; 139.71167
山号 法雲山[1]
院号 仙寿院
宗派 日蓮宗[1]
寺格 緋金襴寺跡
本尊 三宝尊
創建年 正保元年(1664年
開山 一源院日遙
開基 養珠院
正式名 法雲山仙寿院東漸寺
公式サイト 法雲山仙寿院
法人番号 9011005000430 ウィキデータを編集
仙寿院 (渋谷区)の位置(東京都区部内)
仙寿院 (渋谷区)
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仙寿院(せんじゅいん、法雲山仙寿院東漸寺)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある日蓮宗寺院である。旧本山は大野山本遠寺。通師・千駄ヶ谷法縁縁頭寺。

概要

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仙寿院は徳川家康の側室養珠院(お万の方)ゆかりの寺社であり、養珠院が赤坂紀州徳川家屋敷内に建立した草庵が始まりであるとされる[2]。それが正保元年(1664年)、養珠院の実子で紀州徳川家初代・徳川頼宣によって現在地である千駄ヶ谷に移されたものである[2]。仙寿院の境内、石段を上り詰めた本堂前の庭には、現在も養珠院の石碑が建っている[2]

江戸時代、この地は谷中日暮里に風景が似ていることから「新日暮里(しんひぐらしのさと[3])」とも称され、浮世絵や『江戸名所図会』にもしばしば登場している[2][1]。日暮里があまりに有名になったために、西方に新日暮里ができたのである。また、の名所として知られ、桜の季節には遠方からも花見客が集まり[4]酒屋団子田楽の店などが現れて賑わったという[2]

いまは国立競技場の南方の市街のなかになってしまっているが、明治28年(1895年)の東京実測図(5千分の1)では、渋谷川の東の台地にあって、渋谷川流域の水田と、代々木の森を見渡す台地となっている。『江戸名所図会』には、「此辺の地勢をよび寺院の林泉の趣、谷中日暮里に似て頗る美観たり。故に日暮里にかりそめ相対して、仮初に新日暮里と字せり。弥生の頃、欄漫たる花の盛りには大に群集せり。」とある[1]

現代になり、周辺の都市開発や付近を流れていた渋谷川暗渠化などによって、往時の趣は失われた[2]。また、近隣にある国立競技場などを会場として1964年昭和39年)に開催された東京オリンピックの際には、高台に位置する仙寿院の墓地の下を貫通する形で都道が建設され、墓地下を千駄ヶ谷トンネルが通っている。墓地の下にオリンピック道路がついた際、一時話題になった。

現在の仙寿院の住所は東京都千駄ヶ谷二丁目24-1であり、仙寿院が位置する東京都道418号北品川四谷線(外苑西通り・キラー通り)と都道・補助24号線との交差点には「仙寿院交差点」の名称が付いている。

境内

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お仲だんご

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仙寿院の参道下、現在のビクタースタジオ付近には、江戸時代から明治元年まで「お仲だんご」という団子屋があった。

「お仲だんご」は、『江戸名所図会』や歌川広重浮世絵にも描かれており、美人と評判の「お仲」や竹の皮で包んだ「古代餅」などから、仙寿院などを訪ねる人々などのあいだで人気を博していた[5]渋谷金王八幡宮には、お仲が奉納した額があり、奉納者として「古代お仲」と書かれている[5]

脚注

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  1. ^ a b c d 江戸名所図会 1927, p. 279.
  2. ^ a b c d e f 「仙寿院」 『江戸・東京 歴史の散歩道5』 街と暮らし社 平成15年(2003年)7月発行 p.15
  3. ^ 渋谷歴史散歩の会 『散策マップ #4 JR千駄ヶ谷駅から熊野神社まで』 平成14年(2002年)9月発行
  4. ^ 神宮前三丁目 『原宿 1995』 コム・プロジェクト 穏田表参道商店会 平成6年(1994年)12月25日発行 p34
  5. ^ a b 東京ふる里文庫11 東京にふる里をつくる会編 『渋谷区の歴史』名著出版 昭和53年(1978年)9月30日発行 p222

参考文献

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  • 斎藤長秋 編「巻之三 天璣之部 新日暮里/仙寿院」『江戸名所図会』 2巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、279,281-283,287頁。NDLJP:1174144/144 

関連項目

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  • 瑞円寺 - 仙寿院の裏手、榎坂にある寺
  • 勢揃坂 - 仙寿院の近隣にある古道。同じく江戸の名所だった龍巌寺で知られる。

外部リンク

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