コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

瑞円寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
瑞円寺

瑞円寺 本堂
(2019年4月21日撮影)
地図
所在地 東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目35番1号
位置 北緯35度40分36.1秒 東経139度42分39.3秒 / 北緯35.676694度 東経139.710917度 / 35.676694; 139.710917座標: 北緯35度40分36.1秒 東経139度42分39.3秒 / 北緯35.676694度 東経139.710917度 / 35.676694; 139.710917
山号 高雲山
院号 金剛院
宗旨 禅宗
宗派 曹洞宗
創建年 不詳
開山 不詳
正式名 高雲山金剛院瑞圓禪寺
法人番号 5011005000426 ウィキデータを編集
瑞円寺の位置(東京都区部内)
瑞円寺
瑞円寺の位置(日本内)
瑞円寺
テンプレートを表示

瑞円寺(ずいえんじ)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷にある曹洞宗である。山号は高雲山金剛院。

概要

[編集]

瑞円寺は千駄ヶ谷総鎮守である鳩森八幡神社別当寺であった[1]

よく整備された境内は広く、梅林があるほか[1]ツバキツツジハギなども植えられている。瑞円寺の梅園は早咲きで知られる[2]

本堂右手の無縁塔(無縁仏)の最上段には六面に地蔵像を浮き彫りした笠付型の六面塔があるが[1]、これは渋谷区内で唯一、六地蔵信仰をあらわすものである[2]。また、無縁塔の左側には側面に稲穂をくわえた狐が彫られた庚申塔が2基設置されており[1]稲荷信仰を示している[2]。庚申塔のひとつは享保5年(1720年)に置かれたもので、もうひとつの年代は不詳である[1]

本堂正面の墓地には、陸軍中将荻生徂徠の後裔である旧旗本首藤多喜馬三田荻生徂徠墓にも分骨墓がある)や土木技術者衆議院議員である久米民之助の墓がある。裏手の墓地には、俳人太白堂桃隣や、講談師・三代目一龍斎貞山戒名: 一山真透居士)らの墓がある[1]幕末の幕臣・木村芥舟も当初は瑞円寺に埋葬され、後に青山霊園に墓所が移されている。

所在地

[編集]
  • 住所:東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目35番1号

瑞円寺は千駄ヶ谷の高台にあり、門前に通じる坂には榎坂という名が付いている。また、寺の北側には観音坂という坂があり、この坂は瑞円寺が別当寺であった鳩森八幡神社に通じている。瑞円寺のすぐ東、外苑西通りの手前には日蓮宗の寺・仙寿院がある。また、観音坂の入口には真言宗の寺・聖輪寺がある。

榎坂

[編集]
榎坂

榎坂(えのきざか)は、東京都渋谷区千駄ヶ谷二丁目28番30号付近にあって、瑞円寺の門前へと登る細い坂道である[3]。坂の名前はかつて、この坂にの巨木があったことにちなむと言われている[3]

この榎の巨木は「お万(おまん)榎」と呼ばれたが、榎坂の中ほどには駐日オマーン大使館があった。しかし、オマーン大使館は2009年平成21年)5月、渋谷区広尾に移転した。

榎稲荷

[編集]
榎稲荷

榎坂には大東亜戦争前まで、「お万榎」と呼ばれるの巨木があった[4]。この巨木は上部が二股に分かれており人間が逆立ちした形で、の部分が空洞になっていたことから女陰に見られ、性的信仰・性器崇拝の対象となって内藤新宿周辺の遊女女将などが多く拝みにきたという[4][5]

「お万榎」の名は、仙寿院を創建した徳川頼宣紀州徳川家初代)の生母・お万の方がこの木を信仰したことによる[6]。お万の方は、瑞円寺住職の叔母でもあったことから、霊木されたこの榎を度々訪れていたとも伝わる[5]。また江戸庶民は、「古里大明神」との幟を立ててこの榎を祀った[6]。この榎は江戸時代初期の大風により折られ、根幹が朽ちて洞穴を開けた後、不思議にも2本の若芽が穴の左右から生じて伸長、人間が逆立ちしたような形となったものという。

これが評判となったことからその洞穴に稲荷が祀られ、「榎稲荷」として拝まれるようになった。しかし、榎坂にあった榎と榎稲荷は1945年昭和20年)5月、アメリカ軍による空襲で被災し焼失した。

戦後、榎稲荷は瑞円寺の裏側、榎坂の入口から分かれて鳩森八幡神社方面へと登る坂の途中に移築・再建され、商売繁盛、縁結び、金縁、子授かりや子供の病気平癒などの信仰を集める「榎稲荷」がある[3]。現在、稲荷の傍らには、お万榎と榎稲荷の縁起と由緒が書かれた石碑があるが、これは瑞円寺と仙寿院によって1950年(昭和25年)5月に建てられたものである。

昭和初期の記述

[編集]

1937年昭和12年)に出版された白石実三の著書には、榎坂について次のような記載がある[7]

千駄ヶ谷の例の榎」と言っただけで、誰もにやっと笑う。西部東京に5年以上住んでいる人は大抵あの榎を知っている。女陰の形をしている榎なのであるが、決して猥褻な感じは起こらない。淫らな気持ちなどは少しも起こさせない。むしろグロだ、滑稽だ。もしくはまじめな学術の研究資料にされるばかりだ。加藤玄智博士の英文「日本人の性器崇拝」でロンドンに紹介され、いまでは学会に貴重な世界的の名物である榎だ。二股の榎が、根本で又(クロス)をなすところは、幕をはって隠してあって、そこに「榎明神」だの「ふるさと大明神」だのという小旗が大真面で立ててある。紀州様愛妾が植えたという杉を切ってからは少しも嫌味がない。花柳界から寄進したらしい石の花立には野花が飾られ、線香の煙が立ちのぼっている。

脚注

[編集]

注釈

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 瑞円寺 『江戸東京歴史の散歩道5』 街と暮らし社 平成15年7月1日発行
  2. ^ a b c 渋谷歴史散歩の会 『散策マップ #4 JR千駄ヶ谷駅から熊野神社まで』 平成14年9月発行
  3. ^ a b c 解説「榎坂」 渋谷区教育委員会 平成18年度設置の現地標識
  4. ^ a b 榎稲荷(お万榎) 『江戸東京歴史の散歩道5』 街と暮らし社 平成15年7月1日発行
  5. ^ a b 「榎坂」 石川悌二 『江戸東京坂道辞典コンパクト版』(新人物往来社) 平成15年9月20日発行
  6. ^ a b 岡崎清記 『今昔東京の坂』 昭和56年9月刊行
  7. ^ 白石実三 『武蔵野から大東京へ』 中央公論社 1937年昭和12年)

関連項目

[編集]