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狄銀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

狄銀(てきぎん、拼音:Díyín、? - 926年)は、甘州ウイグル王国の王(権知可汗)[1]仁美の弟。狄銀とはテギン(Tägin:皇太弟)の転写だと思われるので、本名は不明。

生涯

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後梁乾化元年(911年)、狄銀は隣国の西漢金山国沙州漢人王国)に攻め入り、双方に負傷者が出たため、講和することとなった。この時、狄銀は西漢金山国に対し、甘州の権知可汗(仁美)を父とし、沙州の白衣天子(張承奉)を子とするよう要求した。

後唐同光2年(924年)11月、兄の英義可汗仁美が卒去したので、弟である狄銀が後を継いで権知可汗(甘州王)となった。狄銀はさっそく都督の安千想らを後唐へ遣わして入朝させた。この月、都督の畢離遏が契丹可汗耶律阿保機によって捕えられる。

同光4年(926年)、卒去。阿咄欲[2]が立って権知可汗となった。

脚注

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  1. ^ 当時(911年)の文書である『沙州百姓一万人上迴鶻天可汗書』では「迴鶻天可汗(ウイグル・テングリ・カガン)」と呼んでいる。
  2. ^ 血族関係は不明。

参考資料

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先代
英義可汗
甘州ウイグル王国可汗
第2代:924年 - 926年
次代
阿咄欲
順化可汗