狄銀
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狄銀(てきぎん、拼音:Díyín、? - 926年)は、甘州ウイグル王国の王(権知可汗)[1]。仁美の弟。狄銀とはテギン(Tägin:皇太弟)の転写だと思われるので、本名は不明。
生涯
[編集]後梁の乾化元年(911年)、狄銀は隣国の西漢金山国(沙州漢人王国)に攻め入り、双方に負傷者が出たため、講和することとなった。この時、狄銀は西漢金山国に対し、甘州の権知可汗(仁美)を父とし、沙州の白衣天子(張承奉)を子とするよう要求した。
後唐の同光2年(924年)11月、兄の英義可汗仁美が卒去したので、弟である狄銀が後を継いで権知可汗(甘州王)となった。狄銀はさっそく都督の安千想らを後唐へ遣わして入朝させた。この月、都督の畢離遏が契丹可汗の耶律阿保機によって捕えられる。
同光4年(926年)、卒去。阿咄欲[2]が立って権知可汗となった。
脚注
[編集]参考資料
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