猪俣喜藤
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猪俣 喜藤(いのまた きふじ、1885年〈明治18年〉2月13日[1] - 1964年〈昭和39年〉4月30日[2])は、日本の内務官僚。大分県東国東郡国東町長。
経歴
[編集]大分県東国東郡北江村(国崎村、国東町を経て現国東市)出身。1912年(明治45年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[3] 。逓信管理局書記、秋田県属、同河辺郡長、広島県佐伯郡長、鹿児島県理事官を経て、宮城県書記官・学務部長、石川県書記官・学務部長を経て、1929年(昭和4年)に福岡県書記官・学務部長に就任した[3]。
1931年(昭和6年)に退官した後は、別府市、岡山市、尼崎市の助役を歴任した[4]。1945年(昭和20年)6月には帰郷し、公選初代国東町長に当選した[2]。1950年(昭和25年)退任した[2]。
脚注
[編集]- ^ 国東町史刊行会 1973, 878頁.
- ^ a b c 国東町史刊行会 1973, 879頁.
- ^ a b 帝国大学出身名鑑 1932.
- ^ 大衆人事録 1943.
参考文献
[編集]- 校友調査会編『帝国大学出身名鑑』校友調査会、1932年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版』帝国秘密探偵社、1943年。
- 『国東町史』国東町史刊行会、1973年 。