玉井安蔵
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玉井 安蔵(安藏、たまい やすぞう、1835年6月26日(天保6年6月1日[1][2])- 1920年(大正9年)1月5日[1][3])は、明治から大正初期の実業家・政治家。衆議院議員。
経歴
[編集]伊予国宇和郡清水村(愛媛県[3]宇和郡清水村[1]、北宇和郡清水村、愛治村、広見町[1]を経て現鬼北町[注釈 1])で、庄屋・玉井常四郎の長男として生れた[1][2]。明治維新後、家督を相続し、里正、戸長を務めた[1]。
1880年(明治13年)愛媛県会議員に選出された[1]。1882年(明治15年)9月、清水村農民から無役地返還の訴訟が起こされ、地主側代表として対応に当った[1]。1888年(明治21年)以降、宇和島地方の大同派の勢力拡張に山崎惣六らと尽力した[1]。1894年(明治27年)3月、第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第6区)で当選し[1][4]、衆議院議員に1期在任した[3][5]。
その後、愛媛県農工銀行取締役、宇和島鉄道取締役、宇和島運輸取締役、宇和島銀行監査役、宇和島信託監査役、北宇和郡農会会長などを務めた[1][2][3][5]。
晩年、養子卓一に家督を譲り隠居して宇和島町(現宇和島市)で余生を送った[1][2]。
国政選挙歴
[編集]- 第2回衆議院議員総選挙(愛媛県第6区、1892年2月、自由党)次点落選[4]
- 第3回衆議院議員総選挙(愛媛県第6区、1894年3月、自由党)当選[4]
- 第4回衆議院議員総選挙(愛媛県第6区、1894年9月、自由党)落選[6]