コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

玉田玉秀斎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

玉田 玉秀斎(たまだ ぎょくしゅうさい)は、講談名跡玉田永教神道講釈の流れをくむ玉田派の名跡。当代は四代目。

  • 二代目玉田玉秀斎 - 長らく「二代目」とされていた玉田玉秀斎の襲名以前にもう一人いたことを示す資料が見つかり、調査が進められている[1][2][3]

三代目

[編集]

三代目玉田 玉秀斎1856年- 1919年)は初代玉田玉秀斎の門弟。本名は加藤 万次郎。速記講談時代のペンネームは「雪花山人」、「野花散人」など。号は「玉麟」[4]。長らく「二代目」とされていたが、2016年に旭堂南陽が玉田玉秀斎(現・四代目)を襲名する際の調査で、初代のあとに「幻の二代目」が存在することが明らかになった為、三代目に変更された[1][2]

京都の神職の家に生まれ、幼少から講談に親しみ、大阪で錫職人を経て講談に入った。1896年に巡業中の今治で人妻の山田敬と駆け落ちし大阪に戻る。敬は廻船問屋「日吉屋」の内儀で玉田の一歳上、夫と5人の子を残しての出奔だった[5]。敬の長女・寧は母親の駆け落ちを理由に嫁ぎ先から離縁された[5]。玉田は速記者の山田都一郎と組んで速記講談に転じ[5]、3代目玉田玉秀斎を襲名。山田都一郎と寧を結婚させたが、2年ほどで離婚したため、それを契機に速記講談から書き講談に転じ、敬の子供たち(長女、長男、三男、四男)も加わって一派を作って活動し、1911年には一派で立川文庫の企画・執筆を行なった。寧の娘の池田蘭子(1893年-1976年)も立川文庫で執筆や小説を書いた[6][7]。蘭子はその後パーマ技術を学んで大阪で美容院を開業して成功し、自伝小説『女紋』を上梓、菊田一夫の脚本で舞台化もされた。

四代目

[編集]

四代目玉田 玉秀斎1976年11月30日 - )はスウェーデン語を話せる講談師である。前名旭堂 南陽(きょくどう なんよう)、本名非公開。

4代目 玉田たまだ 玉秀斎ぎょくしゅうさい
生年月日 (1976-11-30) 1976年11月30日(48歳)
出身地 日本の旗 日本大阪市平野区
師匠 4代目旭堂南陵
名跡 1.旭堂南陽(2001年 - 2016年)
2.4代目玉田玉秀斎(2016年 - )
活動期間 2001年 -
所属 フリー

来歴

[編集]

大阪市平野区に生まれる。大阪府立長野高等学校から大阪市立大学法学部卒。

高校時代にロータリー青少年交換留学生としてスウェーデンに1年留学。

2001年11月、旭堂小南陵(のち4代目旭堂南陵)に入門。

赤十字語学奉仕団などのボランティア活動を行っていた。

アメリカ・ボストンでの英語講談・修羅場読みの模様はNHK WORLD「what's on Japan」で全世界に放送された。 英語の他、ブラジル・パラナ州でポルトガル語講談の経験がある。

2016年11月、四代目玉田玉秀斎を襲名[8]

2021年、大阪講談協会を退会し、フリーとなる。

2022年より三重大学大学院人文社会科学研究科修士課程で忍者・忍術学コースを2024年3月修了。

2024年4月より和歌山大学大学院観光学研究家後期博士課程で忍者・漫遊記について研究中。

人物

[編集]

2021年8月9日 岡山市、シティライトスタジアムで開催された明治安田生命J2リーグ2021第24節、ファジアーノ岡山レノファ山口戦のイベントの一環でファジアーノ岡山の歴史を講談で披露したのをきっかけに、ファジアーノ岡山を応援するようになる。

自身のtwitterでもファジアーノ岡山について発信するほか、一サポーターとしてプライベートでも観戦に行っているようである。

出演

[編集]

弟子

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2016年11月19日放送分までは「南陽の関西講談ウォーク」

脚注

[編集]
  1. ^ a b “上方若手講談師、ダブル襲名へ 小南陵と玉秀斎“復活””. 産経WEST. (2016年5月17日). https://www.sankei.com/article/20160517-ZHOM46RWQZPJBOBPJPP2SHHSTE/ 2017年4月22日閲覧。 
  2. ^ a b 玉田玉秀斎について その2”. 講談師 旭堂南陽の何ナンヨー♪ (2016年5月25日). 2017年4月22日閲覧。
  3. ^ 吉丸雄哉 (2021年5月17日). “(エッセイ)玉田玉秀斎代々について”. 三重大学国際忍者研究センターBLOG. 三重大学国際忍者研究センター研究室. 2023年6月11日閲覧。
  4. ^ 玉田 玉秀斎(2代目)”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 2017年3月2日閲覧。
  5. ^ a b c 大阪文化論 その32 立川文庫の真骨頂吉田永宏、関西大学『関大』第427号 1993.2.15
  6. ^ “なにわ人物伝 -光彩を放つ- 立川文庫の人たち(6) 池田 蘭子”. 大阪日日新聞. (2005年9月17日). https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwa/naniwa050917.html 2017年4月22日閲覧。 
  7. ^ 池田蘭子(読み)いけだ らんこコトバンク
  8. ^ “「とにかく頑張りたい」上方講談、旭堂小南陵と玉田玉秀斎ダブル襲名”. 産経WEST. (2016年11月25日). https://www.sankei.com/article/20161125-B4OU7BWBLNKXFH6A54OUNENL6E/ 2017年2月11日閲覧。 
  9. ^ 玉秀斎の関西講談ウォーク ラジオNIKKEIホームページ 2017年2月11日閲覧

外部リンク

[編集]