玉置勝彦
玉置 勝彦 | |
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写真:尾形正茂 | |
基本情報 | |
生誕 | 1935年7月30日 |
死没 | 2014年9月21日(79歳没) |
学歴 | 東京藝術大学器楽科 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 |
ヴィオリスト 指揮者 教育者 |
担当楽器 |
ヴィオラ 指揮 |
共同作業者 |
東京大学音楽部管弦楽団 東京アマデウス管弦楽団 コンセール21管弦楽団 東京エラート室内管弦楽団 など |
玉置 勝彦(たまき かつひこ、1935年7月30日 - 2014年9月21日)は、日本のヴィオラ奏者、指揮者、教育者。
人物
[編集]東京藝術大学器楽科卒業、同専攻科修了[1]。国内外各地のオーケストラでヴィオラ奏者を務め、ニュルンベルク交響楽団と東京フィルハーモニー交響楽団では首席奏者を歴任した[1]。独奏や室内楽の分野においても、多岐にわたる演奏活動を展開した。1995年には、アルフレッド・ショッパー、デトマール・テツラフ、小林仁らと室内楽グループ「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成[1]。国内各地で演奏会を開催したほか、ドイツとオーストリアへの演奏旅行も行った[1]。
指揮法を渡邉暁雄に師事し[1]、指揮者としても国内各地のプロオーケストラと共演した(日本フィルハーモニー交響楽団、東京都交響楽団、東京交響楽団など[1]。いずれも客演指揮)。2003年には、バリトン歌手の米谷毅彦とともに、プロの器楽演奏家・声楽家からなる「東京エラート室内管弦楽団・東京エラートゼンガー」を設立[2]。同団の指揮者に就任し、以後20回にわたる全ての演奏会を指揮した[2]。
以上の活動と並行して、アマチュアオーケストラの指揮・指導にも積極的にあたった。東京大学音楽部管弦楽団のトレーナー・指揮者を18年にわたり務めたほか[1]、同団卒業生を中心に結成された東京アマデウス管弦楽団を30年にわたって指導した[3][1]。さらに、1991年よりコンセール21管弦楽団の音楽監督を務めるなど[1]、数多くの団体の指導に携わった。
また、ヴァイオリン、ヴィオラの教師として、多くの職業演奏家およびアマチュア演奏家の育成指導を行った[1]。
経歴
[編集]- 1935年7月30日:神戸で生まれる。
- 1960年:東京藝術大学器楽科を卒業(ヴィオラ専攻)[1]。東京交響楽団に入団[1]。
- 1962年:東京藝術大学専攻科を修了し、同大学講師となる[1]。その後、読売日本交響楽団に入団し、同大学講師を辞職[1]。
- 1966年:ドイツに渡り、ニュルンベルク交響楽団第一首席ヴィオラ奏者に就任[1]。その後、ニュルンベルク市立歌劇場メンバーとなる[1]。この間、ヴィオラをゲオルク・シュミットに、ヴァイオリンをヴォルフガンク・シュタフォンハーゲンに師事[1]。
- 1970年:東京フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者に就任[1]。
- 1973年:東京アマデウス管弦楽団が設立され、同団の指揮者に就任[3]。同年、東京フィルハーモニー交響楽団を退団[1]。
- 1991年9月:コンセール21管弦楽団の音楽監督に就任[1][4]。
- 1995年:「ニュールンベルグ・ムジーク・コレーゲン」を結成し、ヴィオラ奏者としての演奏活動に復帰[1]。
- 2003年:東京エラート室内管弦楽団・東京エラートゼンガーを設立し、同団の指揮者に就任[2]。
- 2014年9月21日:東京都内の病院で死去[1]。
参考文献
[編集]- 指揮者紹介 玉置勝彦 - コンセール21管弦楽団
脚注
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