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王光復

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王光復
Wang Kuang-Fu
生誕 1917年11月10日
中華民国の旗 中華民国 京兆地方京都市
(現:北京市
死没 2008年7月9日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 テキサス州ダラス
所属組織 中華民国空軍
軍歴 1935 - 1962
最終階級 空軍大佐
除隊後 台湾辦了順達貿易公司勤務
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王 光復(おう こうふく、1917年11月10日 - 2008年7月9日)は中華民国空軍軍人戦闘機操縦士日中戦争太平洋戦争)時のエース・パイロット北京出身。

経歴

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1916年11月10日、王光復は京都(北京)市内で父王治昌中国語版・母董洁如の間に十一人兄妹の五男として生まれた。王治昌は早稲田大学の出身で、北京大学教授と北洋政府代理工商部長を務めていた。

1935年空軍軍官学校に第9期で入学、飛行訓練を受けて1939年7月1日昆明の航空学校を卒業した。1940年新疆伊寧ソ連軍顧問の訓練を受け、1941年に第3大隊第7中隊に配属されると重慶成都の防空任務についた。

1943年7月27日クレア・リー・シェンノートによって第14空軍の下に中米混成航空団(CACW)が編成された。中国空軍から第1、第3、第5大隊がCACWへ編入され、43年8月からインド(現:パキスタン)のカラチで合同訓練を行った。第3大隊第7中隊員の王光復はその一員として訓練を受け、10月にヒマラヤを越えて中国に戻った[1]

1944年6月25日に王は飛行第9戦隊所属の二式単座戦闘機3機を共同撃墜する初戦果を報じた[2]。王の乗機はP-40N-5で、機首上部に漢字で書かれた「太公令」は周代の始祖・呂尚(太公望)にちなんでいる。1944年5月7日、「太公令」号は梁山で着陸事故を起こして修理されたが、1945年1月に老河口で再度損傷した[3]

1944年7月28日、黄河の橋脚破壊に向かうB-25を護衛中に二式単座戦闘機を1機撃墜、2機を損傷させる[2]。続いて9月20日羊楼司の日本軍の物資集積所を爆撃に行くB-25の護衛任務を受け、洞庭湖を過ぎたところで一式戦闘機20機が襲ってきたが、王は無線で気づかないふりを指令して一式戦を引きつけ、近づいた所で一斉に射撃した。王は、下方に逃れていく1機を急降下で捕捉して撃墜した。(日本側の記録によれば飛行第52戦隊の大元軍曹か、二宮伍長とみられている。)[1]

10月27日、第3大隊のP-40・16機は漢口近郊に向かい列車や河川運輸を攻撃した後[2]荊門の日本軍飛行場へ向かい、飛行場上空を周回中であった九九式双発軽爆撃機9機と一式戦10機に襲いかかった。この戦いで16機の撃墜が報じられ(日本側の記録によると損害は計9機)、特に王光復は一式戦を共同撃墜1(0.5機)、単独による撃墜2機、九九双軽1機を堕として計3.5機の撃墜を記録した[4]。 1945年、第7中隊はP-51へ換装し、王はP-51に乗って1機を撃墜している。

王光復の総撃墜記録は8.5機(6.5機との記録も[3])を数えたが、彼の戦果は空中戦闘によるものだけでなく、地上攻撃でも多くの戦果を上げた。CACWは日本軍の補給線破壊作戦でも活躍し、飛行場や江上の輸送船、鉄道、輸送トラックなどを襲って日本軍の戦力を無力化していった[1]

国共内戦後は台湾へ渡ったが、妹の王光美中華人民共和国主席劉少奇と結婚、また弟の王光英中国語版も中国共産党幹部を務めていたため、将官まで進級することは叶わなかった[5]

1962年、調到史政局擔任軍事史政組組長となり、半年後に退役を申請。その後は貿易会社に勤める事になる。

1985年、妻とともにアメリカのダラスに移住。2005年、戦勝60周年を記念して、中国の胡錦濤総書記・温家宝首相と会見。胡総書記より勲章が贈与された[6]。その3年後の2008年7月9日、自宅でその生涯を終えた。享年92。

経歴

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脚注

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  1. ^ a b c 『第2次大戦 世界の戦闘機隊』、310頁。
  2. ^ a b c Cheung 2015, p. 82.
  3. ^ a b モールズワース(2002年)、99頁。
  4. ^ モールズワース(2002年)、84-85頁。
  5. ^ 中山(2008年)、328-239頁。
  6. ^ [1]
  7. ^ a b 国民政府広報渝字第830号(民国34年8月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月1日閲覧。
  8. ^ 国民政府広報渝字第857号(民国34年9月15日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月8日閲覧。
  9. ^ 国民政府広報第2648号(民国35年10月14日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月10日閲覧。
  10. ^ 国民政府広報第2799号(民国36年4月15日)” (PDF) (中国語). 政府広報資訊網. 2017年10月15日閲覧。

参考文献

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  • 秦郁彦 / 航空情報編集部 『第2次大戦 世界の戦闘機隊』― 付・エース列伝、酣灯社、1987年。ISBN 978-4873570105
  • カール・モールズワース(著) / 梅本弘(訳) 『太平洋戦線のP-40ウォーホークエース』、大日本絵画、2002年。ISBN 978-4499227797
  • 中山雅洋 『中国的天空(下)沈黙の航空戦史』 大日本絵画、2008年。ISBN 978-4499229456
  • Raymond Cheung (2015). Aces of the Republic of China Air Force. Osprey Publishing. ISBN 978-1-4728-0561-4