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王子神社 (東京都北区)

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王子権現から転送)
王子神社

拝殿
地図
所在地 東京都北区王子本町一丁目1番12号[1]
位置 北緯35度45分11.8秒 東経139度44分9.3秒 / 北緯35.753278度 東経139.735917度 / 35.753278; 139.735917座標: 北緯35度45分11.8秒 東経139度44分9.3秒 / 北緯35.753278度 東経139.735917度 / 35.753278; 139.735917
主祭神 王子大神(伊弉諾命伊弉冉命天照大御神速玉男命事解男命[1]の総称)
社格 准勅祭社、旧郷社
創建 不詳
再興:元亨2年(1322年)
本殿の様式 権現造
別名 王子権現[1]
例祭 8月13日前の
主な神事 王子神社田楽舞
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拝殿(近影)
「関神社」と「毛塚」

王子神社(おうじじんじゃ)は、東京都北区王子本町にある神社である。旧称は王子権現。この一帯の「王子」という地名の由来である。

祭神

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歴史

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創建年月日は不詳である。平安時代康平1058年 - 1065年)年間に、源義家奥州征伐のおり、当地で金輪仏頂を修法し、凱旋の日に甲冑を奉納した[2]鎌倉時代末期の文保1317年 - 1319年)および元弘1331年 - 1334年)年間、当地の領主豊島氏が社殿を再興し[3]熊野新宮浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎し、王子神社となる。

明治初期、准勅祭社に指定された。昭和20年(1945年)、太平洋戦争戦災で社殿を焼失。戦後の昭和39年(1964年)、昭和57年(1982年)の二回の造営を経て社殿を再建した。

令和4年(2022年)9月4日、豊島氏による創建から700年を記念する祭りが催され、田楽舞(後述)が奉納された[4]

御神徳

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開運厄除、子育大願

田楽舞

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八月の例大祭には北区無形民俗文化財に指定されている王子神社の田楽舞[5]が奉納されている。

攝末社

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関神社

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主祭神は蝉丸公(神霊)、逆髪姫(神霊)、古屋美女(神霊)である。

蝉丸公は延喜帝の第四皇子で、髪の毛が逆髪である故に嘆き悲しむ姉君「逆髪姫」のために侍女の「古屋美女」に命じて「かもじかつら」を考案して髪を整える工夫をしたと伝わる。ことから「音曲諸芸道の神」「髪の祖神」と崇敬を集めていて、「関蝉丸神社」として、逢坂山滋賀県大津市)に祀られている、その御神徳を敬仰する人達が「かもじ業者」を中心として江戸時代に奉斎された。関連する伝承については能『蝉丸』を参照。

1945年4月13日に戦災で社殿を焼失し、戦後の1959年5月24日に再建された。その費用は全国各地のかもじかつら床山舞踊演劇芸能美容師関係者からの浄財(寄付)で賄われた。

氏子地域

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以下の氏子地域はいずれも北区内。

アクセス

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脚注

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  1. ^ a b c 東京都神社庁.
  2. ^ 『新編武蔵風土記稿 』「王子村」.
  3. ^ 『新編武蔵風土記稿』「王子村」.
  4. ^ 「王子神社 創建700年祝う」『読売新聞』朝刊2022年9月5日(都民面)
  5. ^ 東京都北区.

参考文献

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関連文献

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  • 斎藤長秋 編「卷之五 玉衡之部 王子権現社」『江戸名所図会』 3巻、有朋堂書店〈有朋堂文庫〉、1927年、328-339,346頁。NDLJP:1174157/169 

関連項目

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外部リンク

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東京十社(准勅祭社)
社名 主祭神 鎮座地(東京都) 近代 別表
根津神社
(根津権現)
須佐之男命
大山咋命
誉田別命
大国主命
菅原道真公
文京区根津 府社
芝大神宮
(芝神明宮、飯倉神明宮)
天照皇大御神
豊受大御神
港区芝大門 府社
神田明神
(神田神社)
大己貴命
少彦名命
平将門神
千代田区外神田 府社 別表
日枝神社
(山王権現、麹町山王)
大山咋神 千代田区永田町 官幣大社 別表
亀戸天神社
(東宰府、亀戸天満宮)
天満大神
天菩日命
江東区亀戸 府社
白山神社 菊理姫命
伊弉諾命
伊弉冉命
文京区白山 郷社
品川神社 天比理乃咩命
素盞嗚尊
宇賀之売命
品川区北品川 郷社
富岡八幡宮
(深川八幡)
品陀和気命 江東区富岡 府社
王子神社
(王子権現)
伊弉諾命
伊弉冉命
天照大御神
速玉之男命
事解之男命
北区王子本町 郷社
氷川神社
(赤坂氷川神社)
素盞鳴尊
奇稲田姫命
大己貴命
港区赤坂 府社