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王廷楨

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
王 廷楨
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1876年光緒2年)
死去: 1940年民国29年)
中華民国の旗 中華民国天津特別市
出身地: 清の旗 天津府天津県
職業: 軍人
各種表記
繁体字 王廷楨
簡体字 王廷桢
拼音 Wáng Tíngzhēn
ラテン字 Wang T'ing-chen
和名表記: おう ていてい
発音転記: ワン ティンヂェン
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王 廷楨(おう ていてい)は、清末民初の軍人。北洋系の軍人。北京政府直隷派に属したが、後に安徽派に転じた。子銘子明

事績

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清末の活動

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北洋海軍学校で測量を学び、後に北洋機器局図工となる。次いで北洋武備学堂に入学し、1898年(光緒24年)に日本留学生選抜試験に合格した。翌年より日本に留学して予備校で学び、1901年光緒27年)10月、陸軍士官学校第1期騎兵科に入学している。1903年(光緒29年)に首席で卒業、帰国する[1]

帰国後は陸軍教習営教習(軍事教官)に任ぜられ、多くの軍事書を中国語に翻訳したことで袁の賞賛を受けた。これにより破格の抜擢を受け、第5鎮騎兵統帯、第1鎮総参謀、御林軍(後に禁衛軍と改称)馬隊標統、第2協協統、鑲黄旗漢軍都統などを歴任する。1909年宣統元年)、軍事代表団を率いてフランスに視察に赴く。帰国後、禁衛軍統領に昇進した[2][3]

民初の活動

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中華民国成立後、禁衛軍は馮国璋配下の陸軍第16師に改組され、王廷楨が引き続き師長をつとめた。1913年民国2年)7月、天津鎮守使署理に任命され、まもなく第二革命(二次革命)が発生すると鎮圧のため南方へ出動する。翌1914年(民国3年)には、江蘇省で江寧鎮守使に異動し、後に長江沿岸要塞司令も勤めた[2][3]

1917年(民国6年)、張勲を補佐する長江巡閲副使に任命される。馮国璋が代理大総統の任期を満了してからは、王廷楨は安徽派に転じる。1918年(民国7年)[4]、禎威将軍に列せられ、1919年(民国8年)12月、察哈爾特別区都統に任命された。しかし、1920年(民国9年)の安直戦争で安徽派は敗北してしまう。王もまた、察哈爾都統と陸軍第16師長の地位を喪失した[5][2][6]

晩年

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その後、王廷楨は北京政府高級軍事顧問となる。1923年(民国12年)1月、蒙古前衛鎮守使に任ぜられ、1925年(民国14年)9月、呉佩孚の下で討賊聯軍運輸副司令となった(11月、司令に昇進)。しかし結局、職を放棄して天津に帰り隠居している[7][2]

1939年(民国28年)1月30日、呉佩孚が内外記者会見を開いて「和平救国宣言」を発表し、王廷楨も和平救国会連盟の構成員として同宣言に連署していると報道された[8]。ただし、王が連署に至るまでの経緯や活動の具体性については不詳である。そもそも、この内外記者会見自体が、張燕卿による実態を伴わない宣伝であった可能性すら指摘されている[9]

1940年(民国29年)、死去[2]。享年65。

脚注

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  1. ^ 以上、外務省情報部編(1928)、419頁による。徐主編(2007)、93頁によると、1901年に北洋武備学堂に入学、同年、日本に留学、としている。
  2. ^ a b c d e 徐主編(2007)、93頁。
  3. ^ a b 外務省情報部編(1928)、419頁。
  4. ^ 劉ほか編(1995)、61頁による。外務省情報部編(1928)、419頁は1916年12月、徐主編(2007)、93頁は1920年としている。
  5. ^ 外務省情報部編(1928)、419-420頁。
  6. ^ 来ほか(2000)、1102頁。
  7. ^ 外務省情報部編(1928)、420頁。
  8. ^ 「和平救国会宣言を発表 呉氏運動の動向決定 愈々近く開封に出陣」『東京朝日新聞』昭和14年(1939年)1月31日、2面。
  9. ^ 詳細は呉佩孚張燕卿の記事を参照。

参考文献

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  • 外務省情報部編『改訂 現代支那人名鑑』東亜同文会調査編纂部、1928年。 
  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 来新夏ほか『北洋軍閥史 下冊』南開大学出版社、2000年。ISBN 7-310-01517-7 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。ISBN 7-101-01320-1 
 中華民国の旗 中華民国北京政府
先代
田中玉
察哈爾都統
1919年12月 - 1920年9月
次代
張景恵