甘利信恒
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 永禄3年(1560年) |
死没 | 天正4年(1576年)9月 |
別名 | 三郎次郎 |
主君 | 武田勝頼 |
氏族 | 甘利氏 |
父母 | 父:甘利信康、母:不詳 |
甘利 信恒(あまり のぶつね)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。甲斐武田氏の家臣。
略歴
[編集]甲斐武田家重臣・甘利信康の子[1]。祖父は甘利虎泰、伯父は甘利信忠、従兄弟に甘利信頼がいる。
天正3年(1575年)5月21日の長篠の戦いで父・信康が戦死したため、家督相続して武田勝頼に仕える。同年もしくは翌年に、甲斐の鎮目寺に棟札を奉納している。
天正4年(1576年)9月、遠江小山の陣中において暗殺されたという。享年17[2]。