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生井けい子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
生井けい子
KEIKO Namai
引退
愛称 生ちゃん
日本語 生井けい子
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1951-12-09) 1951年12月9日(73歳)
出身地 栃木県
身長(現役時) 162cm (5 ft 4 in)
獲得メダル
日本の旗 日本
女子 バスケットボール
世界選手権
1975 コロンビア
アジア競技大会
1974 テヘラン

生井 けい子(なまい けいこ、1951年12月9日 - )は栃木県出身の元バスケットボール選手。栃木県宇都宮女子商業高校、日本体育大学卒業。現姓・今野。愛称は「生ちゃん」。

来歴

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栃木市立東中学校2年でバスケを始めたが、当時は陸上競技との掛け持ちだったためバスケ練習は週1回程度だった[1]

宇都宮女子商(現宇都宮文星女子高)では2年でレギュラーになる[1]

高校卒業後は実業団からも誘いを受けるが断り続け、短大進学を希望するが顧問は「日体大なら許してやる」と言われ日体大へ進学[1]。日体大のインカレ3連覇に貢献し、大学生として全日本のメンバーに選ばれる[1]

大学卒業後は故郷で教員を目指すが採用試験で不合格[1]。コーチとして日体大に残る。

1974年のテヘランアジア大会での韓国との決勝ラウンド第2戦にて、タイムアップ寸前にブザービーターを決めて逆転勝利し、勢いに乗った日本を優勝に導いた。当時のFIBA事務総長であったレナト・ウィリアム・ジョーンズがこれらを高く評価し、翌年世界選手権出場を認めた[2]

世界選手権では127得点をあげて、日本準優勝に貢献。MVPと得点王をダブル受賞する。

1976年モントリオール五輪でも大活躍を見せ、日本は6チーム中5位に終わるも5試合で102得点で世界選手権に続く得点王となり、アメリカを破る快挙も演じた。

そして五輪出場を最後に現役引退。結婚して3人の男児を出産、

1992年から慶應湘南藤沢高の非常勤講師を経て、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスで講師及びバスケットボール部顧問を務める[1]

地元栃木のプロバスケットボールチーム「リンク栃木ブレックス」が制定した「栃木バスケットボール殿堂」にも表彰されている。

2022年に日本バスケットボール殿堂にも表彰されている[3]

日本女子バスケットボール史上最高の選手として語り継がれている。

経歴

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  • 宇都宮女子商 - 日本体育大

日本代表歴

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  • 1975世界選手権(銀メダル・MVP・得点王)
  • 1976モントリオール五輪(得点王)

脚注

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[1]

関連項目

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外部リンク

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