生出村
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おいでむら 生出村 | |
---|---|
廃止日 | 1956年4月1日 |
廃止理由 |
編入合併 生出村 → 仙台市 |
現在の自治体 | 仙台市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 東北地方 |
都道府県 | 宮城県 |
郡 | 名取郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 48.74 km2. |
総人口 |
4,453人 (国勢調査、1955年10月1日) |
隣接自治体 |
名取郡:名取町、秋保村 宮城郡:宮城村 柴田郡:川崎町、村田町 仙台市 |
生出村役場 | |
所在地 | 宮城県名取郡生出村 |
座標 | 北緯38度13分16秒 東経140度47分21秒 / 北緯38.22125度 東経140.78925度座標: 北緯38度13分16秒 東経140度47分21秒 / 北緯38.22125度 東経140.78925度 |
ウィキプロジェクト |
生出村(おいでむら)は、昭和31年(1956年)まで宮城県名取郡北部にあった村。現在の仙台市太白区茂庭・坪沼および茂庭台など(一部青葉区域)にあたる。
地理
[編集]歴史
[編集]初期の村政(地方改良運動)
[編集]明治22年(1889年)4月1日、町村制の施行にともない生出村が発足する。長尾四郎右衛門が初代村長に就任する。四郎右衛門は茂庭の旧領主である生出小学校校長・茂庭秀福の助力を得て、村の振興策を推し進めていく。
明治25年(1892年)、馬越石トンネルを開削。明治26年(1893年)、村会において「本村養蚕業奨励法」を成立させ、明治29年(1896年)に製糸工場を設立、原料生産から製品販売までを一貫して行う体制を整えた。また、山林資源の主な利用法を薪炭利用から木材利用へ転換。針葉樹の植林事業を展開し、明治40年には150万本を植樹した。これらの産業振興策によって村民所得は大幅に増加し、補助金に依存しない自立した村政運営を達成した。さらに、村民の生活水準が向上したことと、校舎の整備などで施設面を充実させたことで、学童就学率をほぼ100%に近づけることに成功している。
明治35年(1902年)2月に策定された「宮城県名取郡生出村村是調査書」は、明治36年(1903年)の第五回内国勧業博覧会において好評を博した。これが前田正名の目にとまり、生出村の村是は郡是・市町村是の模範的事例として紹介され、生出村は千葉県山武郡源村・静岡県賀茂郡稲取村と共に日本三模範村として盛んに宣伝された。
明治38年(1905年)5月1日には「行道会」を設立。役場と学校が一体となって社会教育・農事改良にあたり、女子部では家事・看護・育児などの指導にあたった。
沿革
[編集]- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制施行にともない、茂庭村及び坪沼村の区域をもって、生出村が発足する。村名は太白山の別名・生出森(おいでもり)より命名。
- 昭和31年(1956年)4月1日 - 仙台市に編入する。
行政
[編集]首長
[編集]- 歴代村長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 長尾四郎右衛門 | 明治22年(1889年)4月25日 | ||
2 | 佐藤甚七郎 | 明治44年(1911年)9月16日 | ||
3 | 長尾文太夫 | 大正4年(1915年)11月8日 | ||
4 | 嶺岸泰助 | 大正9年(1920年)1月29日 | ||
5 | 太田万五郎 | 大正13年(1924年)3月22日 | ||
6 | 菅野太郎吉 | 昭和3年(1928年)11月2日 | ||
7 | 長尾文之助 | 昭和7年(1932年)11月20日 | ||
8 | 菅野太郎吉 | 昭和11年(1936年)11月13日 | 再任 | |
9 | 太田久三郎 | 昭和15年(1940年)12月9日 | ||
10 | 庄司吉治 | 昭和21年(1946年)2月23日 | ||
11 | 太田太蔵 | 昭和23年(1948年)5月 | 昭和31年(1956年)3月31日 |
地域
[編集]教育
[編集]交通
[編集]鉄道
[編集]- 秋保電気鉄道:北赤石駅 - 茂庭駅 - 萩ノ台駅 - 太白山駅
参考文献
[編集]- 平成『仙台市史』(宮城県仙台市)
- 通史編6〔近代1〕(2002年)
- 資料編8〔近代現代4〕別冊資料(2006年)