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生原忠右衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

生原 忠右衛門(忠右衞門、はいばら ちゅうえもん[1] / ちゅううえもん[2]1868年3月15日(慶応4年2月22日[1][3])- 1932年昭和7年)12月20日[1][2])は、明治後期から昭和前期の政治家実業家衆議院議員

経歴

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甲斐国山梨郡小松村[1]山梨県[2]東山梨郡春日居村[4][5]春日居町[1]を経て現笛吹市春日居町小松)で、豪農[4]・生原広賢、かく の長男として生まれる[3][4][6]。1892年(明治25年)6月、家督を相続した[3][6]

1889年(明治22年)町村制施行以来、春日居村会議員を務め[7]、1894年(明治27年)東山梨郡会議員に当選[1][2][4][5][7]。1899年(明治32年)山梨県会議員に選出され[1][4][7]、所得税調査委員、春日居村助役なども務めた[2][5]

1917年(大正6年)4月、第13回衆議院議員総選挙に山梨県郡部から立憲政友会所属で出馬して当選し[1][7][8]、衆議院議員に1期在任した[2][5]。1920年(大正9年)5月の第14回総選挙(山梨県第2区、立憲政友会公認)に立候補したが次点で落選した[9]。その後、政友会山梨県支部顧問を務めた[7]

実業界では、1912年に第十銀行取締役となり[1][3][4][5][6][7]、その他、中央電力取締役、中央護謨監査役などを務めた[2][6]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 『山梨百科事典 創刊120周年記念版』739頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』499頁。
  3. ^ a b c d 『人事興信録 第4版』い47頁。
  4. ^ a b c d e f 『甲州古今人物辞書』189頁。
  5. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』353頁。
  6. ^ a b c d 『人事興信録 第8版』イ94-95頁。
  7. ^ a b c d e f 『甲斐名鑑』278頁。
  8. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』89頁。
  9. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 第14回』15頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第14回』衆議院事務局、1924年。
  • 『甲斐名鑑』甲斐名鑑刊行会、1931年。
  • 川手秀一編『甲州古今人物辞書』山梨協会本部、1938年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 山梨日日新聞社編『山梨百科事典 創刊120周年記念版』山梨日日新聞社、1992年。