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生地鼻灯台

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生地台場から転送)
生地鼻灯台
生地鼻灯台の位置(富山県内)
生地鼻灯台
航路標識番号
[国際標識番号]
1290 [M7137][1]
位置 北緯36度53分52秒 東経137度24分39秒 / 北緯36.89778度 東経137.41083度 / 36.89778; 137.41083座標: 北緯36度53分52秒 東経137度24分39秒 / 北緯36.89778度 東経137.41083度 / 36.89778; 137.41083
所在地 富山県黒部市生地
塗色・構造 白地に黒横帯2本塗
塔形 コンクリート[1]
レンズ 第4等フレネル[1]
灯質 単閃白光 毎10秒に1閃光
実効光度 210,000[1] cd
光達距離 16.5海里(約31km)[1]
明弧 334度から203度まで
塔高 30.40 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 32.47 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1951年昭和26年)2月11日[2]
管轄 海上保安庁
第九管区海上保安本部
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生地鼻灯台(いくじばなとうだい)は、富山県黒部市生地鼻に立つ中型灯台。白地に2本の黒いラインという目立った外観で、北陸地方では、舳倉島(へくらじま)灯台に続いて第2番目の高さ、遠く滑川市からでも、肉眼で確認できるほか、富山湾対岸の能登半島からも識別可能である[1]。また、日本海富山湾の境界の役割も担っている。通称「生地の灯台」。「越湖の灯台」と呼ぶ人もいる。また白黒2色の塗装にちなんで「パンダ灯台」とも呼ばれている[3]

地元のイベント行事や毎年8月19日に内部を一般公開する。2019年11月2日には、151周年灯台記念日の関連行事として一般公開を実施している[4]2022年6月18日からは、黒部市と漁村文化ミュージアムIKUJI協議会が一般開放を始めた(10月までの第3土曜日に実施)[5]

歴史

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  • 1454年享保3年)10月 最初の槍ヶ崎燈明として[6]創設[7]。なお、この燈明台は明治初年に腐朽していた[6]
  • 1897年(明治30年)9月 - 逓信省に対して旧砲台場に燈台建設を懇願したが叶えられず[6]
  • 1907年(明治40年) 最初の近代的な灯台を設置[7]
  • 1908年(明治41年) 燈台再興のための募金が生地町(現・黒部市)の町民有志に呼び掛けられる[8]
  • 1926年大正15年)6月 生地町が町費で設置(再改築)した「槍ヶ崎燈明台」[9](鉄造四角形やぐら形、高さ20m)が前身。
  • 1951年昭和26年)2月11日[10] 海上保安庁により現在の灯台が設置、初点灯されたが、日本ではじめて自動捲上装置が設置される。
  • 1969年(昭和44年) 霧信号所が廃止される。
  • 1992年平成4年)4月 自動化により、無人化される(これを以て富山県内の灯台は全て無人化された)[11]
  • 2021年令和3年) 設置70周年を記念して、塗装が塗り直される[5]

生地鼻灯台を題材とした楽曲

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燈台の歌
灯台完成時に生地小学校の教員が作詞・作曲した楽曲[12]

生地台場

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生地台場

生地鼻灯台の近くに生地台場がある。ここは、江戸時代末期、日本近海に外国船が出没するようになったため、江戸幕府は諸藩に海岸防備を命じ、加賀藩1851年嘉永4年)10月21日着工、同年11月15日に完成した砲台場[13][14]。当時は、幅約8m、長さ約63m、高さ約3.5mという巨大なもので、5門の大砲が備えられていた[14]

1965年昭和40年)10月1日富山県の史跡に指定[15][14]されたが、この台場は海岸近くにあるため砂に埋もれていて、これまで調査が行われていなかった[16]1988年(昭和63年)10月から12月まで[16]および1989年平成元年)の発掘調査の後に、同年8月から1,500万円を投じ、当時の遺構に1.5mの盛土を実施して当時の姿に復元された[14][16]が、風化しつつある。

交通

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あいの風とやま鉄道生地駅から徒歩30分

脚注

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  1. ^ a b c d e f 『灯台旅 -悠久と郷想のロマン-』(2023年11月18日、藤井和雄著、成山堂書店発行)71頁。
  2. ^ 『魚津・黒部・下新川写真帖』(2007年4月15日、郷土出版社発行)p29「灯台のある生地鼻」より。
  3. ^ 安部龍太郎『灯台を読む』株式会社文藝春秋、2024年10月10日、224-232頁。ISBN 9784163919034 
  4. ^ 生地鼻灯台昼夜一般公開(伏木海上保安部、2021年3月3日閲覧)
  5. ^ a b 『まんまる 2022年8月号』(2022年7月14日、北日本新聞社発行)12 - 13頁
  6. ^ a b c 『生地再発見 -ふるさとの伝説めぐり-』(1999年6月、黒部市立生地公民館発行)30頁。
  7. ^ a b 『ふるさとの想い出 写真集 明治 大正 昭和 黒部』(1986年10月30日、国書刊行会発行)91頁『221 生地灯台』より。
  8. ^ 『生地再発見 -ふるさとの伝説めぐり-』(1999年6月、黒部市立生地公民館発行)30 - 31頁。
  9. ^ 『生地再発見 -ふるさとの伝説めぐり-』(1999年6月、黒部市立生地公民館発行)31頁。
  10. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)60頁。
  11. ^ 『北日本新聞』1992年11月1日付朝刊23面『"現代の灯台守"4人 船の安全はオレたちが守る 「無人化」の47基点検 きょう記念日 岩崎ノ鼻を一般公開』より。
  12. ^ 『北日本新聞』2021年10月28日付28面『黒部 生地鼻灯台70周年 完成当時の楽曲 未来に残そう「燈台の歌」 海保 園児の合唱録音』より。
  13. ^ 生地台場 とやま学遊ネット - 富山県
  14. ^ a b c d 『富山大百科事典 上巻』(1994年8月1日、北日本新聞社発行)76ページ。
  15. ^ 富山県指定文化財(平成27年教委告示第5号現在)”. 富山県. 2017年1月15日閲覧。
  16. ^ a b c 『富山新聞』1989年11月28日付23面『幕末の砲台跡を史跡に 黒部 生地台場の往時の姿復元』より。

関連項目

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外部リンク

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