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滑川市

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なめりかわし ウィキデータを編集
滑川市
滑川市旗
滑川市章
滑川市章
滑川市旗
通常版
滑川市章
1954年6月15日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
都道府県 富山県
市町村コード 16206-0
法人番号 8000020162060 ウィキデータを編集
面積 54.62km2
総人口 31,663[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 580人/km2
隣接自治体 富山市魚津市中新川郡上市町
市の木 マツ
市の花 キク
他のシンボル 市の花木 : ツツジ
市のさかな : ホタルイカ
滑川市役所
市長 水野達夫
所在地 936-8601
富山県滑川市寺家町104番地
北緯36度45分52秒 東経137度20分28秒 / 北緯36.76436度 東経137.34117度 / 36.76436; 137.34117座標: 北緯36度45分52秒 東経137度20分28秒 / 北緯36.76436度 東経137.34117度 / 36.76436; 137.34117
滑川市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

滑川市位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

滑川市(なめりかわし[1])は、富山県の東部に位置する新川平野のほぼ中央にあたり、平野の大部分は早月川と上市川で形成された複合扇状地である[2]。1954年(昭和29年)市制施行。

概要

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古くは北陸街道宿駅町であり、江戸時代より富山の売薬の拠点の一つとして知られる。春の風物詩として知られ、「富山湾の神秘」といわれるホタルイカの大群遊のときに見られる青緑の宝石のようで幻想的な光の帯は「海の銀河」にも例えられる。滑川市の全ての海岸線はホタルイカ群遊海面[3]として国の特別天然記念物の指定を受けて、保存の対象とされている。群雄海面のホタルイカを銘産とする。

「すべりかわ」という誤読が多いことを逆手にとり、「すべりかわ」じゃない「なめりかわ」!、「すべらない街 滑川市」という、企業からのコンペティションを経て採用したキャッチコピーを2023年2月に発表した[1]

地理

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滑川市中心部周辺の空中写真。2021年6月10日撮影の12枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
地形

南東部に北アルプスを背後に置いて加積山麓階とよばれる旧扇状地台地や、上大浦を扇頂に扇端が海岸線に広がる新扇状地などを形成し、新川平野(富山平野の東部)に繋がって広がっている。北西側で富山湾に面する。

東は、早月川を境界に魚津市と接し、早月川の上流部は上市町となる。西は、上市川(下流部)を境に富山市水橋地区)に接し、上市川と合流する郷川を境に南西および南側に上市町と接している。

2018年時点より、富山県内の市では最も面積が小さい市である。2022年現在、射水市高岡市に次いで、人口密度が高い。

市章の由来

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市の源名「波入川」にちなんで、波を図形に川を山形に配し、市の形態である山、平野、川、海を象徴したもの。(滑川市役所より)

  • 大きな波頭で富山湾を表し、湾の南東部に位置することを表す。(七尾能登島から辰巳(アロケーション)方向が正面視線となっている)
  • 波打つ「川」の字が配されたもの。
  • 早月、黒川、郷川など急流を表す。
  • 北アルプス剣岳を、望遠するもの。
  • 扇状平野の地形を示すもの。

地名の由来

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市の中央を流れる「波入川(なみいりがわ:現在の中川)」より発祥。

古代において、市域および魚津市南西部から上市町北東部にかけては、加積(賀積または香積)と呼ばれ、現在の中川は「波入川」と伝わる。中世に、この川の名に「滑河」の漢字が当てられて、滑河の地として「地名が滑河」となったのが始まり。「滑河」の初見は1186年

  • 「加積」は、古代に加積神が領したことによる(魚津市宮津神社(加積神社)のいわれより)。平城平安期に早月川の両岸(滑川市北東部、魚津市南西部)は、大伴佐伯氏の香積寺領であったことから後の加積郷へと広がる。加積神は、大伴家持を含む佐伯氏の先祖を祀ったもの。なお、これら以前は、滑川市北部から富山市水橋地区にかけて東大寺領の丈部(はせつかべ)郷と比定されており、後世に加積郷へと変節している。また、平安後期に滑川市域を含む新川郡は、藤原北家本家本所となるものの宮道蜷川氏らの寄進により祇園社(八坂神社)領へと変遷する。
  • 「波入川」は、日本海の荒れた波が河口より入って遡上したことより、波入川と伝わる。
  • 「滑河」は、中世に比企朝宗が、北陸道勧農使(1184)となったことによる。朝宗、及び、その家人、一門縁者らが、当地の地名に用いたこと見られる。当地の伝承は「名越朝時が、承久の乱(1221)にて北陸道大将軍となり、「波入川」の川畔に立った際に、景観も読みも「鎌倉の滑川」に似ているので「滑河」と呼んだ」と伝えるものの、朝宗を継いだ外孫の朝時のエピソードへ脚色されて伝えられている。朝宗の方(鎌倉の大蔵および比企谷(神奈川県)または比企郡の三門館(埼玉県)での当地への扱い)から、「波入川」に「滑河」の漢字を当て、地名「滑河」が当地に定着した。

歴史

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明治以降の滑川町は面積が1.79m2と小さく[4]、富山県内で最も人口密度が高かった[5]。戦前の1940年にも滑川町と周辺の加積8か村(中加積村東加積村西加積村北加積村浜加積村早月加積村南加積村山加積村)による合併話があったが、最終的に南加積村および山加積村が上市町区域の合併協議に加わったことや合併に積極的であった北加積村、浜加積村、早月加積村も態度を保留するなどして、立ち消えとなっていた[6]

1952年市制施行を目指して1町7ケ村で「加積郷合併審議会」(のちの促進委員会)が幾度も開かれた。東加積村の全会一致の反対で一度は頓挫したものの、山加積村が離脱し上市町と合併した後は全会一致で可決[5]、万が一合併を否決する自治体が出たとしても絶対に合併を実現するため、いったん人口要件に縛られない「町」として合併してから「市」になる形を選択した[7]

町名の候補には滑川のほかにも「加積」「早月」「加川」「大日」「荒磯」「七和」[5]「新川」「郷川」[8]「延槻」が挙げられていた(1918年米騒動などによって全国的に滑川の名称が余り良くない気持ちがあったため)[9]

最終的には「滑川」と「加積」が候補に残り、最終決定権を一任された成田政次富山県知事が、これまでの知名度も考慮して「滑川」を選び「滑川」採用された[5][8]

また、この当時は水橋町など1町3ケ村(水橋町、相ノ木村上条村三郷村)との合併構想もあり、実現すれば面積75.5km2、人口約5万人となり、富山市と高岡市に次ぐ県下第3の人口規模の市となっていた[5]。しかし、水橋町、上条村、三郷村の合併による新『水橋町』の誕生や相ノ木村の上市町編入が決定したため、水橋地域を編入する『滑川市』構想は実現しなかった[10]。また、1953年には滑川町を除いた6ヶ村だけで合併し、郡名からとった中新川町の町制を目指す動きもあった[8]

人口

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滑川市と全国の年齢別人口分布(2005年) 滑川市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 滑川市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
滑川市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 30,039人
1975年(昭和50年) 30,456人
1980年(昭和55年) 30,744人
1985年(昭和60年) 30,880人
1990年(平成2年) 30,923人
1995年(平成7年) 31,841人
2000年(平成12年) 33,363人
2005年(平成17年) 34,002人
2010年(平成22年) 33,676人
2015年(平成27年) 32,755人
2020年(令和2年) 32,349人
総務省統計局 国勢調査より


行政

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歴代市長

  • 初代:赤間徳寿(1957年3月1日 - 1958年8月)
  • 2代:八尾菊次郎(1958年10月1日 - 1962年3月)
  • 3代:丹羽寒月(1962年4月20日 - 1966年4月19日)
  • 4代:黒田松次(1966年4月20日 - 1978年4月19日)
  • 5代:宮崎新策(1978年4月20日 - 1986年1月)
  • 6代:澤田寿朗(1986年2月23日 - 2022年2月22日)
  • 7代:中屋一博(2002年2月23日 - 2010年2月22日)
  • 8代:上田昌孝(2010年2月23日 - 2022年2月22日)

所轄警察署

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所轄消防署

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国の機関

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県の機関

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郵便局

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滑川郵便局
  • 東加積郵便局
  • 浜加積郵便局
  • 中加積郵便局
  • 滑川郵便局
  • 滑川吾妻郵便局
  • 滑川高月郵便局

経済

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産業

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金融

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物販

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  • 滑川ショッピングセンター エール
    通称「YELL」。滑川駅の付近(旧富山電工跡地)に店舗を構え、2階建て(店舗部分は1階のみ)で1979年(昭和54年)6月13日にオープン[20]。滑川市の中心的なショッピングセンター(SC)の一つで、こども文化教室が開かれている。
  • PLANT3
  • 明文堂書店 TSUTAYA滑川店
  • パスタ
    1991年11月15日オープン[21]。スーパーマーケット「大阪屋ショップ」やホームセンター「DCMカーマ」などが入居。
  • バロー

姉妹都市・提携都市

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教育

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高等学校

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中学校

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小学校

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専門学校

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施設

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交通

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空港

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最寄は富山空港(富山市)で、北陸自動車道などで行き来できる。

鉄道

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滑川駅
中滑川駅

中心となる駅は滑川駅である。

道路

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バス路線

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高速バス

路線バス

  • 滑川市コミュニティバス
    運行エリアは滑川市の全域および魚津市の一部(蓑輪ルートの沿線ほか、北部循環ルートが魚津水族館まで乗り入れる)。
    2019年時点、全7路線を運行し、運賃は一律100円(未就学児無料)。
  • 富山地方鉄道
    富山駅前発着の71系統が市街地を経由して滑川駅前まで運行されている。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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タラソピア

史跡

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祭り・イベント

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  • ほたるいかまつり(4月下旬)
  • ふるさと龍宮まつり(7月中旬)
    古来から地域に恩恵を与えてくれた「ほたるいか」に感謝の意を表す祭りで、滑川駅前地区から、後述の「ほたるいかミュージアム」までの周辺で毎年2日間にわたって開催される。郷土舞踊である「新川古代神」の街流しや大型やさこパレードなどが繰り広げられる。また、2日目には海上花火大会が開催され、県内で唯一、正三尺玉(30号玉)が打ち上げられるとあって、市内外から多数の見物客が訪れる。
  • ネブタ流し7月31日
  • ほたるいかマラソン(10月上旬)

博物館・美術館・図書館

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観光・娯楽

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  • ほたるいか観光(4月中旬 - 5月上旬)
    期間中、滑川漁港から観光船が出船し、漁場でほたるいか漁やほたるいかの発光の様子を実際に見学することができる。
  • 行田公園
    園内を流れる「行田の沢清水」が平成の名水百選に指定されている。
  • 東福寺野自然公園
  • 滑川市スポーツ・健康の森公園
  • 滑川海浜公園
    1979年に利用開始。2023年4月29日にはオートキャンプ場(4区画)がオープンした。運営は指定管理者の『ONE DIVE』が担当[28]
  • みのわテニス村
    • 早月川温泉(みのわ温泉。含ナトリウム - 硫黄泉で、神経痛、胃腸痛、リウマチなどに効果がある[29]
  • タラソピア
  • 滑川市民交流プラザ
    中心市街地のまちづくり事業の一環で、2007年(平成19年)6月オープン。入浴施設「あいらぶ湯」のほか、レストラン、市内を一望できる展望台などがある。
映画館(過去)
  • 滑川第一劇場
    常盤町に所在していた戦前からの劇場の系譜の映画館。帝國館(定員680人)→滑川映画劇場(定員380人)→滑川第一映画劇場(定員550人)を経て、滑川第一劇場(定員350人)となる。1960年(昭和35年)に閉館[30]
  • 滑川中央劇場
    橋場町に所在していた戦前からの劇場の系譜の映画館。北洋館(定員325人→380人)→中央劇場を経て、滑川中央映画劇場(定員350人)となる。中滑川駅と橋場町を結ぶ都市計画街路敷設のため、1957年(昭和32年)末までに取り壊され[30]、跡地には滑川ライオンズクラブから寄付された時計塔が設置された[31]。なお、1989年時点で公衆トイレ、消雪施設、電話ボックスとなっていた[32]
  • 滑川日本劇場
    1953年(昭和28年)に晒屋にて日本劇場として開館した映画館。当初の定員は87人であったが、1958年(昭和33年)までに滑川日本劇場(定員560人である)。1962年(昭和37年)閉館後はパチンコ店『パレスホール』となり、現在は富山第一銀行滑川支店が立地している[30]
  • 滑川東映劇場
    1956年(昭和31年)に瀬羽町にて開館した映画館。定員371人。1967年(昭和42年)に黒部市の映画館経営者に買収されたが、建物の改修に多額の費用がかかるため休館状態となり、そのまま閉館した[30]

宿泊施設

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  • 海老源
  • 海老よし
  • 滑川館
  • スカイホテル滑川(魚津市に事業所のあるスカイホテルの運営。かつては「ホテルサンルート滑川」という名称であったが、2016年9月30日を以て富山サンルート(現・スカイホテル)がサンルートホテルチェーンとの加盟契約を終了し、スカイホテル滑川に名称変更された[33]
  • 民宿サン
  • みのわテニス村(グリーンハウス)
  • 青少年婦人研修センター(青雲閣)
  • SLホテル(東福寺野自然公園内)

著名な出身者

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政治家

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官僚・法曹

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実業家

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文化人

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芸能人

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スポーツ

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その他

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関連項目

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脚注

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  1. ^ a b 「観光客誘致 滑川市 すべりません/富山 読み間違いを逆手にPR:特産品ホタルイカ◆伝統行事ネブタ流し」『東京新聞』朝刊2023年3月6日21面
  2. ^ I 沿革・気象”. 滑川市. 2024年10月23日閲覧。
  3. ^ 観光船 から見る ホタルイカ群遊海面 富山県庁土木部建築住宅課景観係(2023年3月7日閲覧)
  4. ^ 『魚津市史 続巻現代編』(2012年3月31日、魚津市教育委員会発行)12頁。
  5. ^ a b c d e f g 『市勢60周年 なめりかわ昭和今昔写真館』(2014年3月21日、滑川市立博物館発行)5頁
  6. ^ 『市制70周年記念 シン・なめりかわ昭和今昔写真館』(2023年7月14日、滑川市立博物館発行)4頁。
  7. ^ 『市制70周年記念 シン・なめりかわ昭和今昔写真館』(2023年7月14日、滑川市立博物館発行)7頁。
  8. ^ a b c 『市制70周年記念 シン・なめりかわ 昭和今昔写真館』(2023年7月14日、滑川市立博物館発行)8頁『滑川だけじゃなかった新自治体名候補』より。
  9. ^ 『早月加積郷土誌』(1985年11月25日、松井庄二編集・発行)141頁
  10. ^ 『市制70周年記念 シン・なめりかわ昭和今昔写真館』(2023年7月14日、滑川市立博物館発行)6頁。
  11. ^ 『新聞に見る20世紀の富山 第2巻』(1999年7月30日、北日本新聞社発行)84頁
  12. ^ 『市勢60周年 なめりかわ昭和今昔写真館』(2014年3月21日、滑川市立博物館発行)7頁
  13. ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)53頁
  14. ^ 『滑川市史 通史編』(1985年12月25日、滑川市発行)616頁「財政再建団体となる」
  15. ^ 『広報なめりかわ』第152号(1965年12月1日、滑川市役所発行)1頁『滑川局の電話 いよいよ12月12日からダイヤル即時化に』より。
  16. ^ a b 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)56頁
  17. ^ ようこそ市長室へ(市長プロフィール)|滑川市”. www.city.namerikawa.toyama.jp (2022年2月23日). 2022年2月23日閲覧。
  18. ^ 『空から見るなめりかわ 昭和今昔写真館』(2016年4月2日、滑川市立博物館発行)33頁
  19. ^ 『空から見るなめりかわ 昭和今昔写真館』(2016年4月2日、滑川市立博物館発行)25頁
  20. ^ 北日本新聞』朝刊1979年6月14日付5面「大繁盛のオープン 滑川ショッピングセンター」
  21. ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川総務部企画情報課発行)60頁より。
  22. ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年11月1日、滑川市総務部企画情報課発行)61頁
  23. ^ 『滑川市制五十周年記念誌 眼でみる滑川五十年のあゆみ』(2003年7月11日、滑川市総務部企画情報課発行)60頁
  24. ^ 本江遺跡 - 滑川市
  25. ^ 東福寺焼窯跡 - 滑川市
  26. ^ 東福寺焼窯跡 - 滑川市
  27. ^ 郷土のやきもの 東福寺焼 - 滑川市立博物館
  28. ^ 『北日本新聞』2023年4月29日付22面『車でキャンプ 海・山一望 滑川海浜公園にきょうオープン 4区画 日帰り・宿泊OK』より。
  29. ^ 野口冬人『全国温泉大事典』(1997年12月18日、旅行読売出版社)464頁
  30. ^ a b c d 『市制70周年記念 シン・なめりかわ 昭和今昔写真館』(2023年7月14日、滑川市立博物館発行)42頁『コラム 滑川の映画館』より。
  31. ^ 『市制70周年記念 シン・なめりかわ 昭和今昔写真館』(2023年7月14日、滑川市立博物館発行)45頁『コラム 滑川の映画館』より。
  32. ^ 『写真集 富山県100年』(1989年6月10日、北日本新聞社発行)13頁
  33. ^ 富山新聞』2016年9月9日付5面「スカイホテルに名称変更」
  34. ^ “毎日フォーラム・霞が関人物録 富山県”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2024年3月8日). https://mainichi.jp/articles/20240307/org/00m/010/005000d 

外部リンク

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