滑川郵便局
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滑川郵便局 | |
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基本情報 | |
正式名称 | 滑川郵便局 |
前身 | 滑川郵便取扱所 |
局番号 | 32004 |
設置者 | 日本郵便株式会社 |
所在地 |
〒936-8799 富山県滑川市清水町3-30 |
位置 |
北緯36度45分50.0秒 東経137度20分39.0秒 / 北緯36.763889度 東経137.344167度座標: 北緯36度45分50.0秒 東経137度20分39.0秒 / 北緯36.763889度 東経137.344167度 |
貯金 | |
店名 | ゆうちょ銀行 代理店 |
保険 | |
店名 | かんぽ生命保険 代理店 |
特記事項 | |
ATMホリデーサービス実施 |
滑川郵便局(なめりかわゆうびんきょく)は富山県滑川市にある郵便局。民営化前の分類では集配普通郵便局であった。
概要
[編集]沿革
[編集]- 1872年8月4日(明治5年7月1日) - 大町に滑川郵便取扱所として開設される[2][3][4]。
- 1873年(明治6年) - 滑川郵便役所(四等)となる[2]。
- 1875年(明治8年)
- 1879年(明治12年)3月26日 - 貯金の取扱を開始する[3]。
- 1881年(明治14年)6月5日 - 滑川町に大火が発生し、局舎が類焼する[4][5]。
- 1882年(明治15年)6月 - 三等郵便局に昇格する[2]。
- 1887年(明治20年)10月 - 新設予定の滑川電信局の設置箇所が決定する[6]。
- 1888年(明治21年)
- 1889年(明治22年)10月16日 - 滑川電信局と合併し、滑川郵便電信局(三等)となり、電信(ただし欧文電報及び欧字とアラビア数字を記入した和文電報を除く)の取扱を開始する[9]。
- 1890年(明治23年)10月16日 - 電信為替の取扱を開始する[10]。
- 1892年(明治25年)10月16日 - 欧文電報及びアラビア数字を記入した和文電報の取扱を開始する[11]。
- 1902年(明治35年)
- 1903年(明治36年)4月1日 - 通信官署官制の施行に伴い滑川郵便局(三等)となる[2]。
- 1907年(明治40年)12月21日 - 電話通話事務を開始する[3][14]。
- 1908年(明治41年)12月11日 - 当局において特設電話加入の申込受理を開始する[15]。ただし、電話交換開始時期は未定[15]。
- 1909年(明治42年)1月16日 - 電話交換業務を開始する[3][16]。
- 1928年(昭和3年)10月1日 - 特設電話規則による電話を電話規則による電話に変更する[17]。
- 1941年(昭和16年)2月1日 - 通信官署官制改正により等級制を廃止する[18]。
- 1945年(昭和20年)12月1日 - 特定郵便局から普通郵便局に昇格する[19]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)4月 - 田中町に電報電話局が移転[4][22]。
- 1951年(昭和26年)4月2日 - 局舎を中新川郡滑川町田中町(電報電話局前)へ新築移転する[23]。旧局舎はしばらく製薬会社として使われた[24][4]。
- 1954年(昭和29年)7月22日 - 旧計量法(昭和26年法律第207号)により計量器使用事業場に指定する[25]。
- 1958年(昭和33年)
- 1975年(昭和50年)1月20日 - 滑川市田中町から同市清水町に移転するとともに、和文電報受付および電話通話を開始する[29][30]。
- 1989年(平成元年)10月23日 - 中加積郵便局から集配業務を承継する[31]。
- 1999年(平成11年) - 外国通貨の両替および旅行小切手の売買に関する業務取扱を開始する[32]。
- 2004年(平成16年)4月1日 - 西加積簡易郵便局の廃止に伴い、取扱事務を承継[33]。
- 2007年(平成19年)10月1日 - 民営化に伴い、併設された郵便事業滑川支店に一部業務を移管。
- 2012年(平成24年)10月1日 - 日本郵便株式会社発足に伴い、郵便事業滑川支店を滑川郵便局に統合。
取扱内容
[編集]- 郵便、印紙、ゆうパック、内容証明
- 貯金、為替、振替、振込、国際送金、外貨両替、国債、投資信託
- 生命保険、バイク自賠責保険、自動車保険、がん保険、引受条件緩和型医療保険
- ゆうちょ銀行ATM
- 「936-00xx」「936-08xx」区域(滑川市の全域、中新川郡上市町(護摩堂(ごまどう)のみ))の集配業務
- ゆうゆう窓口
周辺
[編集]- 滑川市役所
- 滑川市民会館
- 滑川市立寺家小学校
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ 滑川市役所総務部編、『近代百年のあゆみ眼でみる滑川市』(82頁)、1978年(昭和58年)11月、滑川市役所総務部
- ^ a b c d e 山口修監修、『全国郵便局沿革録 明治篇』(172頁)、1980年(昭和55年)12月、日本郵趣出版
- ^ a b c d e 富山呉西特定郵便局長会編、『紀元二千六百年記念 富山県遞信沿革史』(213頁)、1942年(昭和17年)8月、富山呉西特定郵便局長会
- ^ a b c d e 『近代百年のあゆみ 眼でみる滑川市』(1978年11月1日、滑川市役所総務部発行)11頁。
- ^ 滑川市史編さん委員会編、『滑川市史 通史編』(464頁)、1985年(昭和60年)12月、滑川市
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(13頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 明治21年逓信省告示第52号(『官報』、1888年(明治21年)3月30日、内閣官報局)
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(528頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 明治22年逓信省告示第196号(『官報』、1889年(明治22年)10月7日、内閣官報局)
- ^ 明治23年逓信省告示第185号(『官報』、1890年(明治23年)9月16日)
- ^ 明治25年逓信省告示第238号(『官報』、1892年(明治25年)10月12日)
- ^ 明治35年逓信省告示第94号(『官報』、1902年(明治35年)2月21日)
- ^ 明治35年逓信省告示第663号(『官報』、1902年(明治35年)12月17日、内閣印刷局)
- ^ 明治40年逓信省告示第841号(『官報』、1907年(明治40年)12月19日、内閣印刷局)
- ^ a b 明治41年逓信省告示第1292号(『官報』、1908年(明治41年)12月10日、内閣印刷局)
- ^ 明治41年逓信省告示第32号(『官報』、1908年(明治41年)1月15日、内閣印刷局)
- ^ 昭和3年逓信省告示第1314号(『官報』、1928年(昭和3年)5月24日)
- ^ 昭和16年勅令第95号(『官報』、1941年(昭和16年)1月28日、内閣印刷局)
- ^ 昭和20年逓信院告示第243号(『官報』、1945年(昭和20年)11月28日)
- ^ 『官報』(126頁)、1949年(昭和24年)5月14日、大蔵省印刷局
- ^ 昭和24年電気通信省告示第72号(『官報』、1949年(昭和24年)10月18日)
- ^ 日本電信電話公社北陸電気通信局編、『北陸の電信電話 その九十年の歩み』(466頁)、1964年(昭和39年)10月、日本電信電話公社北陸電気通信局
- ^ 『北日本新聞』(4面)、1951年(昭和26年)4月6日、北日本新聞社
- ^ 『市勢60周年 なめりかわ昭和今昔写真館』(2014年3月21日、滑川市立博物館発行)53ページ。
- ^ 昭和29年通商産業省告示第201号(『官報』、1954年(昭和29年)7月22日)
- ^ 昭和33年郵政省告示第483号(昭和33年5月30日付官報第9428号掲載)
- ^ 昭和33年郵政省告示第487号(『官報』、1958年(昭和33年)5月30日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和33年郵政省告示第989号(『官報』、1958年(昭和33年)9月23日)
- ^ 昭和50年郵政省告示第13号(『官報』、1975年(昭和50年)1月14日、大蔵省印刷局)
- ^ 昭和50年郵政省告示第22号(『官報』、1975年(昭和50年)1月17日、大蔵省印刷局)
- ^ 平成元年郵政省告示第683号(『官報』、1989年(平成元年)10月23日、大蔵省印刷局)
- ^ 平成11年郵政省告示第497号(『官報』、1999年(平成11年)7月6日、大蔵省印刷局)
- ^ 日本郵政公社ホームページ「郵便局の改廃情報」平成16年2月27日発表分