赤間徳寿
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赤間 徳寿(あかま とくじゅ、1883年9月2日[1][2] - 1958年8月19日[3][2])は、日本の政治家。衆議院議員(1期)。滑川市長(2期)[3]。従五位勲四等瑞宝章[4]。
経歴
[編集]富山県出身[5]。1909年東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語科卒[5]。富山商業学校、同中学校各教諭、浜加積村議、富山県議、富山地方森林会議員、戦時特別調停委員、富山県産業組合連合会監事[5]、産業組合中央会富山県支副会長、地方金融協議会監事、大政翼賛会中央協力会議員、富山電気鉄道(株)取締役、日本水力工業(株)監査役となる[3]。
1942年の第21回衆議院議員総選挙では富山1区(当時)から翼賛政治体制協議会(翼協)の推薦を受けて立候補したが次点で落選する[6]。しかし、同年8月、井村荒喜の辞職により、9月に繰り上げ当選となる[7]。当選後は翼賛政治会に入った[7]。戦後は日本進歩党に入ったが[8]、推薦議員のため公職追放となった[9]。1951年追放解除[10]。
追放解除後は、富山県公安委員を経て、1953年滑川町長に就任[4]。翌1954年、同町の市制施行により滑川市長となった[3][注 1]。1957年に再選。2期目の1958年に死去[4]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』180頁では就任日を「1957年(昭和32年)3月1日」。
出典
[編集]- ^ 衆議院『第八十四回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1944年、22頁。
- ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』180頁。
- ^ a b c d 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』15頁。
- ^ a b c 『日本の歴代市長』第2巻、156頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』14頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』127頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』479頁。
- ^ 『議会制度百年史 院内会派編衆議院の部』505頁。
- ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、一般該当者名簿9頁。公職追放の該当事項は「推薦議員翼賛富山県事務局長翼賛中新川郡協翼壮団長」。
- ^ 『毎日新聞』1951年8月7日朝刊2面。
参考文献
[編集]- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 院内会派編衆議院の部』大蔵省印刷局、1990年。
- 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第2巻、歴代知事編纂会、1983年。