生方たつゑ
生方 たつゑ(うぶかた たつえ、1905年2月23日 - 2000年1月18日[1])は、日本の歌人。沼田市名誉市民[2]。日本歌人クラブ初代会長[3]。戦後の女流歌人の第一人者と称される[4]。
来歴
[編集]三重県宇治山田町宮後(現・伊勢市)生まれ[4]。旧姓・間宮。父・間宮斉一、母・きよの四女。宇治山田高等女学校(現・三重県立宇治山田高等学校)を経て、1925年に日本女子大学家政科卒業。同年、群馬県沼田市で薬局「かどふぢ(角藤)」を経営する生方家に嫁ぎ[4]、今井邦子に師事。1935年、第一歌集『山花集』を上梓する。戦後は歌誌「国民文学」に所属して松村英一に師事。また、「女人短歌」編集委員も務めた。戦後最初の総選挙である第22回衆議院議員総選挙に出馬したが落選した。
『青粧』(1955)で第2回日本歌人クラブ推薦歌集(現日本歌人クラブ賞)、『白い風の中で』(1957)で第9回読売文学賞[4]、『野分のやうに』(1979)で第14回迢空賞受賞[4]。古典文学に関する著書も多い。
1980年、勲四等宝冠章受章[4]。1989年沼田市名誉市民[4]。墓所は沼田市舒林寺。
家族
[編集]夫は初代国家公安委員で前沼田町長の生方誠(せい、1894‐1978)。誠は地元上之町の商家(薬舗)・生方家[5]の29代目で、アメリカのカリフォルニア大学バークレー校で薬学を学び、千葉医科大学 (旧制)卒の医師でもあり[6][7]、演劇愛好家でもあった[8]。誠の父・生方政五郎は、1886年に沼田町に設立された小学生のための英学校「沼田英吉利学校」の発起人の一人[9]。夫の伯父に文筆家の生方敏郎[10](敏郎の父・生方幸助は家業の薬屋のほかに一時地元で劇場も共同経営していた[11])。長女は料理研究家の生方美智子[12]。
嫁ぎ先である生方家の旧住宅は、17世紀末頃に建築されたものと考えられ、東日本で最も古い町家造りの建築物であることから1970年に重要文化財に指定され、沼田公園内に移築保存されている[13]。また、たつゑの著作を集めた生方記念文庫が沼田市内にある。
著作
[編集]- 『山花集』むらさき出版部 1935
- 『雪明』青磁社 1944
- 『浅紅』女人短歌会 1951
- 『雪の音譜』第二書房 1953
- 『青粧』白玉書房 1955
- 『白い風の中で』白玉書房 1957
- 『短歌の作り方百科』岩崎書店 1958
- 『生方たつゑ選集』四季書房 1958
- 『火の系譜』白玉書房 1960
- 『海にたつ虹』白玉書房 1962
- 『短歌へのいざない』新興出版社 1962
- 『急がない人生』日本経済新聞社 1964
- 『北を指す』白玉書房 1964
- 『定本生方たつゑ歌集』白玉書房 1966
- 『短歌をたのしく 作歌と鑑賞』主婦の友社 1968
- 『虹ひとたび 能楽幻想』角川書店 1969
- 『人生音痴』サンケイ新聞社出版局 1969
- 『短歌教室』読売新聞社・読売新書 1969
- 『紋章の詩』短歌研究社 1972
- 『私の星は炎える』東京美術 1972
- 『王朝の恋歌』読売新聞社 1973
- 『娶らざる詩人 大手拓次の生涯』東京美術 1973
- 『あこがれを歌う 私の短歌作法』主婦の友社 1973
- 『和泉式部』読売新聞社 1975
- 『雪の日も生きる わが短歌と人生』主婦の友社 1976
- 『額田姫王』読売新聞社 1976
- 『生方たつゑ歌集』短歌研究社 1977
- 『邂逅の人』光風社書店 1978
- 『大津皇子』角川選書 1978
- 『母ありてこそ』文化出版局 1978
- 『新・短歌教室』読売新聞社 1979
- 『野分のやうに』新星書房 1979
- 『生方たつゑ全歌集』角川書店 1979
- 『心の花ごよみ』文化出版局 1980
- 『短歌への出発』角川選書 1980
- 『心をはこぶ女性の手紙文 折々の言葉と文例』有斐閣 1981
- 『細川ガラシヤ』淡交社 1981
- 『四季おりおり』文化出版局 1981
- 『灯に寄る』沖積舎 1981
- 『古典の中の愛と怨み』読売新聞社 1982
- 『ひとりの手紙』新星書房 1982
- 『生方たつゑ短歌入門』求竜堂 1982
- 『真田窓のある家』角川書店 1983
- 『冬の虹』新星書房 1985
- 『生方たつゑの蜻蛉日記・和泉式部日記』集英社(わたしの古典) 1986 のち文庫
- 『はじめて短歌を作る』主婦の友社 1986
- 『新・短歌作法』創拓社 1990
- 『現代短歌集成 生方たつゑ』沖積舎 1995
生方記念文庫
[編集]1986年10月、たつゑの長女美智子により生方記念文庫が開設され[4]、1993年沼田市へ寄贈された[4]。明治から昭和にかけての作品集や書籍など約400点を展示している[2]。交流のあった村岡花子の自筆書簡も所蔵している[2]。
脚注
[編集]- ^ 深川賢郎「生方たつゑの風景 : 『心の花ごよみ』にみる生身の声」『看護学統合研究』第8巻第1号、呉大学看護学部、2006年9月、71-74頁、CRID 1050859293245020544、ISSN 13460692。
- ^ a b c “「花子とアン」ゆかりの品も 沼田の生方記念文庫が新築移転”. 上毛新聞. (2014年7月22日) 2014年7月23日閲覧。
- ^ “日本歌人クラブ歴代会長・顧問”. 日本歌人クラブ. 2020年6月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “生方記念文庫”. 沼田市公式ホームページ. 沼田市. 2023年2月20日閲覧。
- ^ 『群馬県営業便覧 : 附・繁昌記』(全国営業便覧発行所, 1904)
- ^ 生方美智子『母とのたたかい』(リヨン社、1985)
- ^ 『占領軍地方行政資料』足立忠夫, 神戶都市問題研究所. 地方行財政制度資料刊行会、勁草書房, 1983
- ^ 『最後の牧水研究』大悟法利雄、短歌新聞社, 1993
- ^ 『群馬県教育史』群馬県教育史研究編さん委員会, 群馬県教育センター
- ^ 『心の花ごよみ』143p
- ^ 第30回上之町誌編纂会議上之町誌編纂委員会、平成24年1月31日
- ^ 朝日新聞2000年1月19日、生方 美智子 Michiko Ubukata
- ^ 旧生方家住宅沼田市役所