生方誠
生方 誠(うぶかた せい、1894年〈明治27年〉8月17日 - 1978年〈昭和53年〉10月6日[1])は、日本の政治家、行政委員。群馬県利根郡沼田町(現:沼田市)出身。妻は歌人の生方たつゑ、長女は料理研究家の生方美智子。
経歴
[編集]沼田上之町の老舗薬種商「かどふぢ(角藤)」の29代目として生まれる。旧制前橋中学校利根分校(現・群馬県立沼田高等学校)を経て、1916年(大正5年)に千葉医学専門学校薬学科(現:千葉大学薬学部)を卒業した。翌年より5年間アメリカのカリフォルニア大学バークレー校に留学した後、郷里へ戻って家業を継ぐ。1926年(大正15年)に三重県出身の間宮たつゑと結婚。その後地方政界へと進出し、群馬県議会議員や沼田町長、そして1948年(昭和23年)3月から1950年(昭和25年)3月までの2年間は国の行政委員として初代の国家公安委員(他に辻二郎、植村環、清瀬三郎、金正米吉)を務めた。
1978年(昭和53年)に死去。満84歳没。
旧生方家住宅
[編集]生家の旧生方家住宅は、東日本で最も古い町家造りの建築物とされる。1970年(昭和45年)に国の重要文化財に指定され、1973年(昭和48年)には沼田公園内に移築された。隣接地にある生方記念資料館には、誠が収集した書画などが展示されている[2]。
また、1986年(昭和61年)に長女の美智子が同市内に設け、1993年(平成5年)に市に寄贈した生方記念文庫は、誠が集めた洋書を所蔵している[3]。
エピソード
[編集]絵画や文学、演劇などに造詣が深く、演劇においてはもともと幼少期から父の影響で能に親しんでいたのに加え、米国留学時には「ギニョールマリオネット」と呼ばれる人形劇に熱中したという。また、シェークスピア研究を介して坪内逍遥とも交流があった[4]。