生駒親孝
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生駒 親孝(いこま ちかのり、寛政2年3月14日(1790年4月27日) - 天保7年1月7日(1836年2月23日))は、江戸時代後期の旗本。初名は丹羽貴邁。通称は修蔵、大内蔵。
生涯
[編集]寛政2年(1790年)3月14日、丹羽長貴の三男として誕生した。生母は松原氏。文化10年(1813年)9月18日、交代寄合生駒親章の養子となった。文化14年(1817年)9月13日、親章の死去により家督を相続した。天保元年(1830年)11月8日、隠居して養子の親愛(実父奥平昌高)に家督を譲った。天保7年(1836年)1月7日、47歳で死去した。正室は生駒親章の娘。
文政5年(1822年)11月、老中水野忠成の申し入れにより、本所中之郷の江戸下屋敷(800坪)を譲渡し、本所林町の菅沼大蔵の屋敷(906坪)を入手、新たに下屋敷とする。
参考文献
[編集]- 「平成新修旧華族家系大成」(上巻)