用土重連
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時代 | 戦国時代 - 安土桃山時代 |
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生誕 | 天文11年(1542年)[1] |
死没 | 天正6年(1578年) |
別名 | 藤田重連、新左衛門、弥八郎 |
主君 | 北条氏邦 |
氏族 | 用土氏(藤田氏) |
父母 | 藤田康邦 |
兄弟 | 大福御前、重連、藤田信吉? |
用土 重連(ようど しげつら)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。後北条氏の家臣。上野国沼田城代。
略歴
[編集]父・藤田康邦は元々山内上杉氏に仕えていたが、天文15年(1546年)の河越城の戦いの後、北条氏康に居城・天神山城を攻撃され降伏。氏康の四男・氏邦を養子に迎え、自身は用土城に移り、用土氏を称した。
康邦の没後、家督を継いだ重連は氏邦に仕え武功をあげた。しかし、氏邦との間に確執が生じその存在を危険視された。その後、重連は金子泰清と共に沼田城代となったが、それに不満をもった氏邦によって天正6年(1578年)に毒殺されたという。
その後、後を継いだ弟・藤田信吉(異説有り)は、その恨みから天正8年(1580年)、真田昌幸の誘いに応じて武田勝頼に寝返り、沼田城を武田方に明け渡した。その後勝頼から改めて沼田城代に任じられた。