田中たつ
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田中たつ たなか たつ | |
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生年月日 | 1892年8月14日 |
出生地 |
日本 鳥取県会見郡米子町 (現・鳥取県米子市) |
没年月日 | 1985年8月30日(93歳没) |
出身校 | 京都府立医科大学 |
前職 | 保健婦 |
所属政党 |
(国民党→) 国民協同党 |
選挙区 | 鳥取県全県区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1946年 - 1947年3月31日 |
田中 たつ(たなか たつ、1892年〈明治25年〉8月14日[1] – 1985年〈昭和60年〉8月30日[2][3])は日本の政治家、衆議院議員(1期)。旧姓は高坂[1]。
来歴
[編集]鳥取県米子町(現米子市)に生まれる[1]。小学校卒業後、看護婦養成所に入り、1911年(明治44年)に卒業する[1]。その後、産婆学校を出て、看護婦として病院に勤務し、1922年(大正11年)に産婆を開業した[1]。さらに京都府立医科大学で産婆学を学び[2]、保健婦の資格を得て、1943年(昭和18年)に鳥取県保健婦協会会長に就任した[2][3]。
1946年(昭和21年)、戦後第1回の総選挙に鳥取県から無所属で立候補して最下位(4位)で当選した[4]。当選後は国民党を経て国民協同党に入った[注釈 1]。翌1947年(昭和22年)の総選挙に鳥取全県区から立候補したが落選した[8]。その後は再び立候補しなかった。1985年死去。
脚注
[編集]脚注
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』240頁。
- ^ a b c 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』241頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』359頁。
- ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』150頁。
- ^ 『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 254コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 257コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『衆議院議員党籍録 第1回帝国議会~第92回帝国議会 260コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『朝日選挙大観』535頁。
参考文献
[編集]- 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
- 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394
- 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。