コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田中亮一 (政治家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中亮一
たなか りょういち
生年月日 1890年8月29日
出生地 日本の旗 日本 佐賀県
没年月日 (1945-12-26) 1945年12月26日(55歳没)
出身校 早稲田大学政治経済科卒業
前職 農業
所属政党立憲政友会→)
無所属→)
日本自由党

選挙区 佐賀県第1選挙区
当選回数 5回
在任期間 1928年 - 1930年1月21日
1932年 - 1945年12月18日


テンプレートを表示

田中 亮一(たなか りょういち、1890年明治23年)8月29日[1] - 1945年昭和20年)12月26日[2][3])は、日本政治家衆議院議員(5期)、佐賀県神埼郡千歳村(のち千代田村→千代田町、現・神埼市)長[2]

経歴

[編集]

佐賀県出身[2]1915年早稲田大学政治経済科卒[2]。卒業後は佐賀県に戻り農業を営む傍ら千歳村長、同農会長、神埼郡会議員、同農会長、佐賀県会議員、同参事会員、肥前麺業(株)社長、肥筑軌道取締役などを経て[2]1928年第16回衆議院議員総選挙立憲政友会公認で立候補して初当選[3]1930年第17回衆議院議員総選挙で落選したが、1932年第18回衆議院議員総選挙で復帰して以来4回連続当選した[3]1942年第21回衆議院議員総選挙(いわゆる「翼賛選挙」)では非推薦で立候補して当選した[3]1945年幣原内閣海軍政務次官に就任[2][3]。同年11月で海軍省が廃止され、第二復員省となったため引き続き第二復員政務次官になった[2][3]。同年12月18日の議会解散後、同月26日に死去した[3]

脚注

[編集]
  1. ^ 衆議院『第七十回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1936年、30頁。
  2. ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』363頁。
  3. ^ a b c d e f g 『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』185頁。

参考文献

[編集]
  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 楠精一郎著『大政翼賛会に抗した40人 自民党源流の代議士たち』朝日新聞社、2006年。