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田中金太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田中 金太郎
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 熊本県
生年月日 1920年
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手
プロ入り 1942年
初出場 1942年6月13日[1]
最終出場 1942年10月26日[2]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 金太郎(たなか きんたろう、1920年 - 没年不明)は、熊本県出身のプロ野球選手一塁手)。

来歴・人物

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熊本工業(現・熊本県立熊本工業高等学校)在学中には、甲子園に2回(春1回〈1939年〉,夏1回〈1939年〉)出場[3]。両大会ともエースとして君臨し[4]、1939年春の大会ではベスト8に進出した。当時のチームメイトに武宮敏明(のち巨人)、後藤次男(のち阪神)がいる。熊本工業卒業後は、社会人野球の満州倶楽部に入団した。

1942年5月25日名古屋軍に入団[5]。しかし投手からの転向で中々実績を出すことが出来ず、同年終了後、現役引退した。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1942 名古屋 21 38 37 0 3 0 0 0 3 0 0 0 1 -- 0 -- 0 2 -- .081 .081 .081 .162
通算:1年 21 38 37 0 3 0 0 0 3 0 0 0 1 -- 0 -- 0 2 -- .081 .081 .081 .162

背番号

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  • 27 (1942年)

脚注

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関連項目

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外部リンク

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