田刈屋信号場
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田刈屋信号場 | |
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構内(1936年、『信号』第9巻4号(信号会)より) | |
たかりや TAKARIYA | |
所在地 | 富山県富山市田刈屋 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
駅構造 | 地上駅 |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)9月1日 |
廃止年月日 | 1956年(昭和31年)11月19日 |
乗入路線 | |
所属路線 | 北陸本線 |
キロ程 | 245.2 km(米原起点) |
◄呉羽 (3.4 km) (1.4 km) 富山► | |
所属路線 | 高山本線 |
キロ程 | 224.4 km(岐阜起点) |
◄西富山 (2.2 km) (1.4 km) 富山► |
田刈屋信号場(たかりやしんごうじょう)とは、かつて富山県富山市田刈屋にあった信号場である。当時単線であった北陸本線と高山本線との分岐点であった[1]。
沿革
[編集]- 1927年(昭和2年)9月1日:北陸本線富山駅 - 呉羽駅間、飛越線富山駅 - 西富山駅間に田苅屋信号場として開業する[1][2][3]。当信号場は北陸本線と飛越線の分岐点であった[1]。
- 1934年(昭和9年)10月25日:飛越線が線路名称改定により高山本線となる[4]。
- 1935年(昭和10年)6月10日:北陸本線富山駅 - 当信号場 - 呉羽駅間及び高山本線当信号場 - 西富山駅間において単線自動閉塞式を採用し、当信号場を富山駅からの遠隔制禦とする[5]。
- 1948年(昭和23年)2月13日:田苅屋信号場を田刈屋信号場と改称する[1][3]。
- 1956年(昭和31年)11月19日:田刈屋信号場を廃止する[1][3]。
- 1959年(昭和34年)11月:新神通川橋梁の供用を開始する[6]。同橋梁は富山駅 - 田刈屋間の北陸本線と高山本線の線路分離のために、単線並列による複線で建設されたものであった[7]。これにより北陸本線と高山本線との二重戸籍区間が解消。
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写真左に分岐するのは飛越線、右に分岐しているのは北陸本線であり、田刈屋信号場はその分岐点であった。上に交叉しているのは越中鉄道の田刈屋鉄橋。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』(139及び169頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
- ^ 鉄道省編、『昭和十二年十月一日現在 鉄道停車場一覧』(17及び22頁)、1937年(昭和12年)12月、川口印刷所出版部
- ^ a b c 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(32頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
- ^ 昭和9年鉄道省告示第498号(『官報』、1934年(昭和9年)10月19日、内閣印刷局)
- ^ 久野治志、「富山-呉羽、富山-西富山間単線自動閉塞装置と田苅屋信号場の遠隔制御装置に就て」、『信号』第9巻4号所収、1936年(昭和11年)7月、信号会
- ^ 石原巖編、『交通技術増刊 鉄道技術の進展』通巻第175号、1960年(昭和35年)8月、交通協力会
- ^ 石原巖編、『交通技術』第14巻11号(446頁)、1959年(昭和34年)10月、交通協力会