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田刈屋信号場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
田刈屋信号場
構内(1936年、『信号』第9巻4号(信号会)より)
たかりや
TAKARIYA
地図
所在地 富山県富山市田刈屋
北緯36度42分25.5065秒 東経137度11分58.8756秒 / 北緯36.707085139度 東経137.199687667度 / 36.707085139; 137.199687667 (田刈屋信号場)
所属事業者 日本国有鉄道
駅構造 地上駅
開業年月日 1927年昭和2年)9月1日
廃止年月日 1956年(昭和31年)11月19日
乗入路線
所属路線 北陸本線
キロ程 245.2 km(米原起点)
呉羽 (3.4 km)
(1.4 km) 富山
所属路線 高山本線
キロ程 224.4 km(岐阜起点)
西富山 (2.2 km)
(1.4 km) 富山
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田刈屋信号場(たかりやしんごうじょう)とは、かつて富山県富山市田刈屋にあった信号場である。当時単線であった北陸本線高山本線との分岐点であった[1]

沿革

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  • 1927年昭和2年)9月1日:北陸本線富山駅 - 呉羽駅間、飛越線富山駅 - 西富山駅間に田苅屋信号場として開業する[1][2][3]。当信号場は北陸本線と飛越線の分岐点であった[1]
  • 1934年(昭和9年)10月25日:飛越線が線路名称改定により高山本線となる[4]
  • 1935年(昭和10年)6月10日:北陸本線富山駅 - 当信号場 - 呉羽駅間及び高山本線当信号場 - 西富山駅間において単線自動閉塞式を採用し、当信号場を富山駅からの遠隔制禦とする[5]
  • 1948年(昭和23年)2月13日:田苅屋信号場を田刈屋信号場と改称する[1][3]
  • 1956年(昭和31年)11月19日:田刈屋信号場を廃止する[1][3]
  • 1959年(昭和34年)11月:新神通川橋梁の供用を開始する[6]。同橋梁は富山駅 - 田刈屋間の北陸本線と高山本線の線路分離のために、単線並列による複線で建設されたものであった[7]。これにより北陸本線と高山本線との二重戸籍区間が解消。

隣の駅

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日本国有鉄道
北陸本線
呉羽駅 - 田刈屋信号場 - 富山駅
高山本線
西富山駅 - 田刈屋信号場 - 富山駅
  • 富山駅 - 田刈屋信号場間は北陸本線と高山本線との二重戸籍区間であった。

脚注

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  1. ^ a b c d e 石野哲、『停車場変遷大事典 国鉄・JR編Ⅱ』(139及び169頁)、1998年(平成10年)10月、JTB
  2. ^ 鉄道省編、『昭和十二年十月一日現在 鉄道停車場一覧』(17及び22頁)、1937年(昭和12年)12月、川口印刷所出版部
  3. ^ a b c 今尾恵介監修、『日本鉄道旅行地図帳 全線・全駅・全廃線 6号』(32頁)、2008年(平成20年)10月、新潮社
  4. ^ 昭和9年鉄道省告示第498号(『官報』、1934年(昭和9年)10月19日、内閣印刷局)
  5. ^ 久野治志、「富山-呉羽、富山-西富山間単線自動閉塞装置と田苅屋信号場の遠隔制御装置に就て」、『信号』第9巻4号所収、1936年(昭和11年)7月、信号会
  6. ^ 石原巖編、『交通技術増刊 鉄道技術の進展』通巻第175号、1960年(昭和35年)8月、交通協力会
  7. ^ 石原巖編、『交通技術』第14巻11号(446頁)、1959年(昭和34年)10月、交通協力会

関連項目

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