豊橋鉄道田口線
田口線 | |
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三河大石-三河海老間の双瀬隧道 | |
概要 | |
現況 | 廃止 |
起終点 |
起点:本長篠駅 終点:三河田口駅 |
駅数 | 13駅(本長篠駅除く) |
運営 | |
開業 | 1929年5月22日 |
全通 | 1932年12月22日 |
廃止 | 1968年9月1日 |
所有者 | 田口鉄道→豊橋鉄道 |
使用車両 | 車両の節を参照 |
路線諸元 | |
路線総延長 | 22.6 km (14.0 mi) |
軌間 | 1,067 mm (3 ft 6 in) |
最小曲線半径 | 160 m (520 ft) |
電化 | 直流1,500 V 架空電車線方式 |
最急勾配 | 30.3 ‰ |
田口線(たぐちせん)は、愛知県南設楽郡鳳来町(現・新城市)の本長篠駅から北設楽郡設楽町の三河田口駅までを結んでいた豊橋鉄道の鉄道路線である。敷設の経緯などから1067mmの森林鉄道とも呼ばれた[1]。
木材輸送を目的として1929年(昭和4年)に一部区間が、1932年(昭和7年)に全線が開業し、1965年(昭和40年)と1968年(昭和43年)の一部区間休止を経て1968年に全線が廃止された。
歴史
[編集]種類 | 株式会社 |
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本社所在地 |
日本 愛知県豊橋市花田町字石塚14[2] |
設立 | 1927年(昭和2年)11月6日[2] |
業種 | 鉄軌道業 |
事業内容 | 旅客鉄道事業、自動車運輸業 [2] |
代表者 | 社長 藍川清成[2] |
資本金 | 90,000円(払込額)[2] |
特記事項:上記データは1943年(昭和18年)4月1日現在[2]。 |
段戸山系の御料林の木材を運搬する目的から、設立時は宮内省(今の宮内庁。戦後、御料林は国有林となり林野庁の所管)の出資も得ており、豊川鉄道・鳳来寺鉄道との3者で資本金の77%を占めていた[3]。田峰駅と三河田口駅からは、集材用森林鉄道(狭軌トロッコ)も設置された。
田口鉄道は、本業の鉄道輸送の他、鳳来町海老地内、双瀬と稲目の2箇所に砕石場があり、砂利の製造販売も手掛けていた。
豊川・鳳来寺両鉄道と車両も共通運用されていたが、1943年(昭和18年)8月1日の2社の国有化に対して、田口鉄道は国有化されなかった。これは鉄道敷設法別表第63号で計画された遠美線(大井 - 稲武 - 浦川 - 三河大野 - 遠江二俣)の経由地に田口の名前がなく、敷設法の先行建設路線と見なされなかったとも考えられているが、国有化以前から3鉄道の一体運営がなされていたとの歴史的経緯から1952年(昭和27年)まで日本国有鉄道による運転管理が行われた。なお、同様な例に沙流鉄道がある。
終点の三河田口駅は、田口の市街地から4kmも離れた寒狭川沿いに設置された。これは、清崎駅から市街地へは急勾配があることと、木材運搬の利便から株主の宮内省が寒狭川沿いの設置を主張した[4]からである。後年木材輸送が減少した後は、これが旅客集客へマイナス要因となった。
年表
[編集]- 1926年(大正15年)11月15日 - 鉄道免許状下付(南設楽郡東郷村-北設楽郡田口町間)[5]。
- 1927年(昭和2年)11月6日 - 田口鉄道株式会社設立[6][7]。
- 1929年(昭和4年)5月22日 - 田口鉄道によって鳳来寺口(現・本長篠) - 三河海老間開業[8]。
- 1930年(昭和5年)
- 1932年(昭和7年)12月22日 - 清崎 - 三河田口間開業[10]。
- 1936年(昭和11年) - 田口鉄道が豊川鉄道・鳳来寺鉄道と共に名古屋鉄道傘下に入る。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 豊川鉄道・鳳来寺鉄道の保有路線が国有化されて飯田線となるが、田口鉄道の路線は国有化されなかったものの鉄道省(→運輸通信省、運輸省、日本国有鉄道)による運転管理となる。鳳来寺口駅を本長篠駅に改称。
- 1952年(昭和27年) - 日本国有鉄道による運転管理終了。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 田口鉄道が同じ名古屋鉄道傘下の豊橋鉄道に吸収合併され、同社の田口線となる。
- 1963年(昭和38年)3月25日 - 国鉄飯田線豊橋駅への直通運転廃止。
- 1965年(昭和40年)9月17日 - 清崎 - 三河田口間が水害のため不通。翌年から休止。
- 1968年(昭和43年)
路線データ
[編集]停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1965年8月時点
- 路線距離:本長篠 - 三河田口間22.6km
- 駅数:13駅(終点含む、起点の本長篠は国鉄管理のため除く)
- 軌間:1067mm
- 複線区間:なし(全区間単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 閉塞方式:タブレット閉塞式
- 隧道:24本
- 橋梁(径間3.5m以上):17か所
当線のような寒村地域の路線においては、軽便鉄道規格であったとしても何ら不思議ではないところ、豊川・鳳来寺両鉄道との車両共通運用という都合もあったとはいえ、1067mm軌間の1500V電化で、トンネル断面も鉄道省の電化路線規格に準拠し、パンタグラフ折り畳み高さが十分に確保されたものであった等、この規模の地方私鉄としては破格のものであったといえる。後年の20m級国電入線に際しても、こと車両限界に関しては、特に問題がなかった点は特筆される。だがその一方で、そのトンネル内部の大部分が森林鉄道並みのコンクリート巻立を行わない素掘りで、軌条は30kg、道床厚や枕木の間隔等の線路等級は簡易線規格であり、特に三河海老駅以北の第二期工事からは、軌条も各地からかき集めた、他線から使い回しの明治期の中古レールが多用された。架線も全線シンプルカテナリーではあったものの、広い駅構内や貨物ヤード等では、これが他線であれば当然Vトラストビーム架線柱が採用されていたであろう場所においても、路面電車並みのスパン線ビーム方式が採用されるなど、建設費圧縮に腐心した跡が窺える。線内有人駅においては、駅本屋がホームに接している三河田口駅と鳳来寺駅上り方面以外は、ホーム上屋が省略された。保安設備も簡略化されており、国鉄管理の本長篠駅を除き、線内の有人駅においては、場内信号機のみで、出発信号機は省略されていた。但し清崎駅の三河田口駅寄りのみは第二場内、第一場内の2か所存在した。踏切は警手付きの遮断機付きが本長篠、大石、清崎の3か所にあった。また半径240m以下のカーブではチョック付きの護輪軌条が設置されていた。
運行状況
[編集]- 1934年(昭和9年)12月当時
- 運行本数:鳳来寺口 - 三河田口間10往復
- 全区間所要:45-47分
- 1965年(昭和40年)9月当時
- 運行本数:本長篠 - 三河田口間15往復
- 全区間所要:43-49分
- 1967年(昭和42年)9月当時
- 運行本数:本長篠 - 清崎間15往復
- 全区間所要:36-43分
その他鳳来寺参拝客の便をはかり、国鉄飯田線との臨時直通列車も設定されたことがある。1961年(昭和36年)には、名古屋駅からの直通快速列車(豊橋駅以西の停車駅は今の新快速に似ていた)も「臨電鳳来」として運転され、これに先立ち80系電車による入線試験も全線に亘って実施されたが、電圧降下等の問題点が多く、営業列車としては実現しなかった。
また、名鉄線から名鉄の車両が団体専用列車として、1954年(昭和29年)に廃止された小坂井支線を通って飯田線・田口線に乗り入れる運用も1950年代前半まで存在した。
また、愛知県立鳳来寺高等学校への通学者のための本長篠 - 鳳来寺間の区間列車も存在した。
- 出典
- 白井良和「奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」『鉄道ピクトリアル』No.461[12]
- 白井良和「ひと夏の夢に終わった名古屋〜鳳来寺間直通快速列車」『RAILFAN』No.527
駅一覧
[編集]- 出典:『日本鉄道旅行地図帳』7号[13]および「奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」[14]。
- 全駅愛知県に所在。
- 駅名、所在地は廃止時点(清崎 - 三河田口間は1966年10月1日より、三河海老 - 清崎間は1968年8月29日より休止中。復旧せず廃止)。
駅名 | 駅間キロ | 営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 |
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本長篠駅 | - | 0.0 | 日本国有鉄道:飯田線 | | | 南設楽郡 鳳来町 |
三河大草駅 | 2.6 | 2.6 | | | ||
鳳来寺駅 | 2.2 | 4.8 | ◇ | ||
(臨時乗降場)* | — | — | | | ||
玖老勢駅 | 2.7 | 7.5 | ◇ | ||
三河大石駅 | 1.6 | 9.1 | | | ||
三河海老駅 | 2.5 | 11.6 | ◇ | ||
滝上駅 | 1.2 | 12.8 | | | ||
田峰駅 | 2.6 | 15.4 | 名古屋営林局新城営林署:森林鉄道段戸山線(田峯森林鉄道) 田峯鰻沢線(貨物線、1960年廃止) |
◇ | 北設楽郡 設楽町 |
長原前駅 | 1.6 | 17.0 | | | ||
清崎駅 | 1.1 | 18.1 | ◇ | ||
(貨)大久賀多駅 | N/A | N/A | | | ||
(臨)鮎淵駅** | N/A | N/A | | | ||
三河田口駅 | 4.5 | 22.6 | 名古屋営林局新城営林署:森林鉄道段戸山線(田口森林鉄道) 田口椹尾線(貨物線、1963年廃止) |
| |
- * 鳳来寺山大祭日(11月23日)のみ営業。名称不詳。
- ** アユ釣りシーズンのみ営業。
輸送・収支実績
[編集]年度 | 輸送人員(人) | 貨物量(トン) | 営業収入(円) | 営業費(円) | 営業益金(円) | その他損金(円) | 支払利子(円) | 政府補助金(円) |
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1929 | 105,074 | 4,005 | 23,355 | 29,894 | ▲ 6,539 | 水害復旧費2,550 | 965 | |
1930 | 169,783 | 9,448 | 43,427 | 58,230 | ▲ 14,803 | 雑損66 | 33,856 | 45,352 |
1931 | 215,091 | 12,038 | 57,224 | 63,200 | ▲ 5,976 | 雑損51 | 79,792 | 78,235 |
1932 | 208,812 | 16,546 | 58,217 | 57,790 | 427 | 雑損3,128 | 66,060 | 90,734 |
1933 | 238,835 | 24,593 | 73,498 | 73,225 | 273 | 雑損37 | 81,633 | 99,999 |
1934 | 242,236 | 26,557 | 75,194 | 82,809 | ▲ 7,615 | 雑損266 | 61,223 | 167,811 |
1935 | 230,956 | 29,444 | 77,910 | 84,911 | ▲ 7,001 | 償却金170,352 | 38,606 | 196,642 |
1936 | 243,466 | 24,364 | 81,037 | 74,895 | 6,142 | 雑損償却金169,892 | 28,307 | 191,207 |
1937 | 274,825 | 26,831 | 86,929 | 78,993 | 7,936 | 雑損償却金154,819 | 18,447 | 164,265 |
1939 | 387,852 | 34,112 | ||||||
1941 | 556,876 | 61,492 | ||||||
1943 | 805,855 | 63,428 | ||||||
1945 | 1,397,248 | 50,260 | ||||||
1949 | 1,210,667 | 75,894 |
- 鉄道統計資料、鉄道統計、国有鉄道陸運統計、地方鉄道軌道統計年報各年度版
車両
[編集]電気機関車デキ53、電車 電3形 (101, 102) を開業時に新造した。1951年に国鉄より旧豊川鉄道モハ14・15を購入。1955年に貨車トム602(旧・国鉄トム6782)の下回りに豊橋市の豊栄鉄工所で製作した木製車体を載せたサハ201を製作した。1956年に国鉄より旧豊川鉄道モハ31を購入しモハ38とした。貨車は新造車はなく、国鉄、豊川鉄道、名古屋鉄道などから譲受された車両である。
なお、豊川・鳳来寺、両鉄道の国有化までは、姉妹鉄道として両社と田口鉄道の3社の車両は共通運用されていたため、豊川鉄道の電気機関車デキ50等も当線に乗り入れていた。
- 電車 - 詳細は「豊川鉄道・鳳来寺鉄道・田口鉄道の電車」を参照
- モハ30形 36,37,38
- モハ10形 14,15
- サハ201(付随車)
- 電気機関車
- デキ50形 53
- 貨車
- ワ70形 71,72 (元豊川鉄道ワフ4,ワフ5)
- ト100形 101,102,103 (元国鉄ト499,ト488,ト312)
- ワ80形 81 (元日本毛織一宮工場)
- ト150形 157
- トフ70形 71
- ト200形 200 (元国鉄ト6865)
- ト200形 233,234
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廃線跡
[編集]- 廃線跡は比較的多く残り、国道や県道、通学路等地元住民の生活路となっている。
- 本長篠駅付近から内金トンネルまでは、河津桜が多数植えられ、開花時期にはインスタ映えスポットとして有名になっている。
- 長篠付近の愛知県道32号長篠東栄線すぐ脇には、大井川橋梁跡の橋脚があり、ひときわ目を引く。
- 大井川橋梁跡から旧三河大草駅跡までの区間は、何の利用もされず自然に還っているが、築堤や切り通し等、路盤そのものは、道路として切り崩された地点以外はよく原型を留めており、木製架線柱が2本現存している。
- 旧三河大草駅跡は、永らく荒れ放題となっていたが、近年草刈り等の整備が定期的に行われ、こちらも隠れた名所となった。
- 愛知県道32号長篠東栄線沿いの「傘川橋梁」三河大草駅寄り橋台跡には、1886年ジョリエット製鉄社製レールを部材に使用した鉄製架線柱が現存する。
- 旧鳳来寺駅舎は、「豊鉄ほうらいじ食堂」として廃止後も使用されたが、その後改築された。現在は取り壊され、駐車場になっている。
- 田代トンネル並びに田代川橋梁は、永らく付近のキャンプ場への近道として利用されていたが、トンネルは老朽化しているとの判断から2000年代後半には通行止めになり、田代川の河川改修に伴い、橋梁も2024年に撤去された。
- 愛知県道32号長篠東栄線、鳳来寺小学校前信号から玖老勢東信号付近まで、廃線跡はサイクリングロードとして利用されており、当初新道と呼ばれていたが、後になかよし小道と名付けられた。旧玖老勢駅跡には豊鉄時代のコンクリート製境界票が残っている。
- 玖老勢東信号付近から海老川橋梁付近まで、廃線跡は愛知県道32号長篠東栄線にそのまま転用されている。海老川橋梁手前から廃線跡は県道と分かれるが、旧三河海老駅跡まで一般町道に転用されている。双瀬(ならぜ)トンネルは当線の有名スポットの一つである。
- 旧三河海老駅跡は、しばらく豊鉄バス海老管理所として使用された。平成初期に駅舎が取り壊された後も、バス旋回場として一日数回使用されていた。県道バイパス工事により路盤が削られ、かつて通行出来た海老 - 滝上間の一部は、通行出来なくなった。
- 県内最長の鉄道用トンネルであった稲目トンネルは、廃止後しばらくは代行バス専用トンネルとして使用された。その後1979年に拡張工事を受けて2車線片側歩道付となり、愛知県道389号富栄設楽線(開通当初は「鳳来設楽線」)の一部として一般交通にも開放された。現在も豊鉄バス田口新城線が通行している。
- 「第二寒狭川橋梁」の清崎寄りにあった田峰駅の場内信号機は、廃線後から1996年(平成8年)頃まで、清崎駅跡に、同駅の駅名標と共に保存されていた。その後撤去され、地元の建設会社倉庫脇に雨ざらしで放置されていた。現在は塗装し直されて保管されている模様である。
- 設楽町内の寒狭川に架けられていた「第三寒狭川橋梁」は箱上橋(通称:辨天橋)、「第四寒狭川橋梁」は平野橋(通称:高鉄橋)として、一般町道に転用されている。
- 旧三河田口駅舎(設楽町営バス宇連長江線田尻バス停下車)は長く残存したが、何の保全もなされず廃屋状態で次第に朽ち果て、鮎渕(臨)停車場近傍の設楽ダム計画も合わせていつまで残存するか予断を許さない状況が続いていた。2005年に支えの少ない北側待合室部分から半壊した。廃線から43年の2011年8月21日の深夜に全壊した[15]。この北の田口森林軌道跡もダム水没予定地である[16]。
- 設楽町田口にある資料館「奥三河郷土館」敷地内に、田口線で使用されていた電車(モハ14)が静態保存されていた。同車両は廃線後9年間、ブルーとクリームの二色に塗装され、田峰駅構内に放置されていたが、奥三河郷土館に移送設置し、ライトブラウンに塗り直しの上、半分のロングシートを撤去しガラスケースを入れて「田口線資料展示室」として利用されていた。また、奥三河郷土館の館内では、元職員の手による当時の様子を撮影したアマチュア8ミリフィルムをVHSビデオに再生した映像を閲覧することができた(画質は良好ではない)。設楽町清崎に建設された、道の駅したら施設内に奥三河郷土館が移転したことに伴い、保存車両モハ14も清崎に移転した。なお、清崎に移転するまでモハ14が載っていた60ポンドレールは、1894年に英国モスベイ社で製造されたものと、1928年に八幡製鉄所で製造されたものとを溶接して繋ぎ合わせたもので、これもモハ14と一緒に展示されており、モハ14は清崎移転後は別の新しいレール上に載せられている。
- その他の保存物としては、長篠の医王寺に三河大草駅の駅名標、勾配標や曲線標などが保存展示されている他、「学童農園山びこの丘」施設内、伝承館の一角に、鳳来寺駅の駅名標他、田口線で使用されていた道具などが展示されている。沿線の鳳来寺小学校には、廃線後10年間、玖老勢駅と鳳来寺駅の駅名標が保存されていたが、校舎改築に際し、撤去された模様である。
脚注
[編集]- ^ 白井 (1962) p. 66
- ^ a b c d e f 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和18年4月1日現在(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 大株主には鳳来寺の名もみられる『地方鉄道軌道営業年鑑』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 1927年宮内省が会社からの株式引受の誓願に返答した文書に残されている。「寒狭川右岸に停車場を設置し帝室林野局が敷設する大輪線と連絡を計るべき事」『鳳来町誌』田口鉄道編、53-61頁(一次資料は豊橋鉄道所蔵田口鉄道文書の宮内庁関係綴)
- ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1926年11月17日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第37回(昭和4年)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1929年5月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1930年12月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1932年12月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 「豊橋鉄道田口線消える」『交通新聞』交通協力会、1968年9月3日、2面。
- ^ 白井 (1986)
- ^ 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7号、新潮社、2008年、38-39頁。ISBN 978-4107900258。
- ^ 白井 (1986) pp.59,62
- ^ 廃線の駅舎、昨夏に倒壊 鉄道ファン「残念」 愛知 - 朝日新聞デジタル、 2012年3月11日
- ^ “設楽ダムにおける環境影響評価と環境保全への取り組み” (PDF). 国土交通省中部地方整備局. 2016年2月4日閲覧。
参考文献
[編集]- 小早川秀樹『青春のアルバム豊橋鉄道田口線』フルカラー、自費出版、2006年。
- 白井良和「豊橋鉄道」『鉄道ピクトリアル』1962年3月号臨時増刊:私鉄車両めぐり2、1962年、54-62,106-107。(再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
- 白井良和「豊橋鉄道(私鉄車両めぐり第2分冊補遺)」『鉄道ピクトリアル』No. 1451963年5月号臨時増刊:私鉄車両めぐり4、1963年5月、87頁。(再録:鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年。)
- 白井良和「中京・北陸地方のローカル私鉄 7 奥三河に咲いたローカル線 田口線の回想」『鉄道ピクトリアル』第461号、鉄道図書刊行会、1986年3月。
- 武田彰「雨で分かれた豊鉄田口線」『鉄道ピクトリアル』No. 216、1968年11月、75頁。(築堤流失箇所、最終日車内の写真あり)
- 鉄道省『昭和12年10月1日現在鉄道停車場一覧』鉄道省(覆刻:鉄道史資料保存会)、東京(覆刻:大阪)、1937年(1986年覆刻)、353頁。ISBN 4-88540-048-1。
- 鳳来町教育委員会「田口鉄道編」『鳳来町誌』鳳来町教育委員会、1996年、53-61頁。
- 和久田康雄 著「昭和52年5月1日現在における補遺」、鉄道ピクトリアル編集部 編『私鉄車両めぐり特輯』 1巻、鉄道図書刊行会、東京、1977年、補遺4頁。