長井ありさ
表示
(田川ありさから転送)
ながい ありさ 長井 ありさ | |
---|---|
プロフィール | |
出身地 | 日本 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1959年11月20日 |
血液型 | B型 |
最終学歴 | 長崎県立女子短期大学卒業 |
職歴 | 長崎放送アナウンサー |
活動期間 | 1980年 - |
ジャンル | ラジオパーソナリティ |
配偶者 | 有り |
公式サイト | Antyusa |
担当番組・活動 | |
出演経歴 | 『ときめきワイド 気ままにアーブ』 |
長井 ありさ(ながい ありさ、1959年[1]11月20日[2] - )は、長崎県を拠点に活動する日本のフリーアナウンサー、アロマテラピー講師。旧姓は田川[3]。
来歴
[編集]長崎県立長崎東高等学校在学中の1977年、第24回NHK杯全国高校放送コンテストアナウンス部門で準優勝を果たす[5]。このコンテストで司会を務めていた桜井洋子(NHKアナウンサー)に憧れたことと、この時に自覚した才能を信じてアナウンサーを志すようになったという[3]。
長崎県立女子短期大学英文科を卒業後[4]に長崎放送に入社し、同局のアナウンサーになる。英文科卒であることを活かし、ポップスのランキング番組では英語による曲紹介も行っていた[6]。
1987年11月、当時長崎放送報道局に勤務していたカメラマンと結婚[7]。それに伴い、活動名義も田川 ありさから長井 ありさへと改めた[6]。
1999年6月、メディカルアロマテラピーの普及団体であるナード・アロマテラピー協会 (NARD) 認定資格を取得[8]。後にNPO法人日本メディカルアロマテラピー協会 (JMAA) に参加し、2001年8月に同協会認定スペシャリスト資格を、2002年3月に同協会認定講師資格を取得する[8]。
2004年9月に長崎放送を退社し、フリーアナウンサーに転身。またJMAA九州支部の代表となり、同協会の長崎校であるスクール兼サロンAntyusa(アンチューサ)を主宰している[8]。なおフリーへの転身後には、すべてひらがな表記のながい ありさを活動名義に用いている[8]。
担当番組
[編集]テレビ番組
[編集]ラジオ番組
[編集]- スイッチオン ヤングジャーナル[3]
- 青春キャンパス(文化放送) - キャンパスリーダー[3]
- 只今お昼歌謡曲[3]
- 気分はリズム ありさのホット・ヒット・ランク[4](1986年 - 1988年3月)
- ありさん・クマさんの土曜はBANG BANG[9](1988年4月 - 1989年3月)
- ときめきワイド Lスタからこんにちは[9] - 木曜担当(1988年4月 - 1989年3月)
- サンデーありさのHOT電リク[9](1989年4月 - 1990年3月)
- ときめきワイド 気ままにアーブ[9](1990年10月 - 1993年9月/1995年4月 - 1996年3月) - 月曜・火曜担当 → 水曜・木曜担当(1992年4月 - 1993年9月)、月曜・火曜担当(1995年4月 - 1996年3月)
- おまかせワイド ありさのどんなモーニング[9] - 金曜担当(1992年4月 - 1993年3月)
- 歌のない歌謡曲[9](JRN企画ネット番組、1994年4月 - )
- サタデー歌謡ゼミナール 何でもアリサ![9](1996年4月 - )
- ありさ・ウエモトの午後はいただき[9] - 金曜担当(1996年10月 - )
脚注
[編集]- ^ NHKウィークリーステラ2001年12月7日号全国アナウンサー名鑑
- ^ a b c “長井 ありさ”. 長崎放送. 1998年1月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、286頁。
- ^ a b c d e 長崎青年協会会報第93号 社団法人長崎青年協会
- ^ 放送コンテストの歩み NHK杯全国放送コンテスト
- ^ a b 月刊ラジオパラダイス 1988年12月号「中波四十七局全国行脚記録帳 NBC長崎放送の巻」(86ページ)
- ^ 月刊ラジオパラダイス 1988年1月号 p.71「ラジパラタイムス」
- ^ a b c d “呼吸器に役立つメディカルアロマテラピー” (PDF). 全日本民医連呼吸器疾患研究会. pp. 1-2. 2015年2月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月1日閲覧。
- ^ a b c d e f g h ラジオ新番組速報版(三才ブックス)より。