田村徳治
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田村 徳治(たむら とくじ、1886年7月14日 - 1958年11月25日[1])は、日本の行政学者・政治学者。蠟山政道と並ぶ日本の行政学創始者の一人。博士(法学)(京都帝国大学)[2]。秋田県鹿角郡花輪町(現在の鹿角市)生まれ。
人物
[編集]秋田師範学校では土田誠一・菊地寅七とともにクラスの三羽烏に数えられた。四年間級長を務めて1907年卒業[3]。1913年東京高等師範学校英語科卒業。1916年京都帝国大学法学部政治科卒業。1916年京都帝国大学大学院(旧制)特別研究生。後に、京都帝国大学法学部助手。1920年京都帝国大学法学部助教授に就任。1922年ドイツ・イギリス・フランス・アメリカに2年間留学。1924年京都帝国大学法学部教授に就任。1933年滝川事件によって京都帝国大学を退職。1934年関西学院大学法文学部教授に就任(~1940年)。1934年立命館大学非常勤講師(~1936年)。1941年同志社大学法学部教授・同志社大学文化研究所長(~1947年)、1947年財団法人中京法律学校(現・中京法律専門学校)客員講師(~1951年)。1948年関西大学や立命館大学の非常勤講師(~1950年)。1951年関西学院大学法学部教授。1958年関西学院大学在職中に逝去。
主著
[編集]- 『思想財産の移入の原理』(大村書店 1922年)
- 『行政學と法律學』(弘文堂書房 1925年)
- 『思想問題解決の合理的基礎』(弘文堂 1927年)
- 『行政機構の基礎原理』(弘文堂書房 1938年)
- 『大東亞建設理念とその實現』(湯川弘文社 1944年)
- 『政治哲学』(有信堂 1952年)
- 『理論行政学』(中央書房 1971年)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ 関西学院事典
- ^ 国立国会図書館. “博士論文『法律学の価値に関する懐疑 : 一名、既成法律学の改造への理論』”. 2023年4月1日閲覧。
- ^ 『あきた』(通巻85号) 1969年(昭和44年) 6月1日発行 人・その思想と生涯(37) 田村徳治 ~高橋克三~ 行政学確立の先駆