姨捨棚田
姨捨棚田(おばすて たなだ)とは、日本の中部地方の、長野県千曲市八幡[gm 1](※1889年〈明治22年〉時の更級郡八幡村。江戸時代における信濃国更級郡八幡村界隈、幕藩体制下の信州長楽寺領八幡村・信州松代藩知行八幡村等)にあって、古より「田毎月」の名所と謳われてきた棚田である。姨捨の棚田[gm 2]ともいう。
「姨捨山(冠着山)」の名を冠してはいるが、この棚田の造成されている基礎にあたる緩傾斜地形が属しているのは冠着山の山麓ではなく、三峯山[1](標高1131.3メートル)の東側にある千曲高原の東側から北東側斜面に広がる扇状地状の地形であり、これを指して学術上は「姨捨土石流堆積物地形」と呼んでいる。
緩傾斜地形
[編集]姨捨棚田は、基礎にあたる緩傾斜地形の上に造成されている。この地形の成因について、主たる学説として以下の2つがある[2]。
- 三峯火山泥流説
- 旧崩積土再移動説
田毎月
[編集]信濃国更級郡八幡(現在の千曲市八幡)に広がる棚田の水を張った水田の一つ一つに映り込む月は[3][4]、古くから「田毎月(たごとのつき、たごとづき)[3]」「田毎の月(たごとのつき)[4]」と謳われるほど美しいことで知られていた[3][4]。 この「田毎月」とは、長楽寺の持田である四十八枚田に映る月をいい、今も多くの地図上に名所を示す「∴」印はこの四十八枚の棚田「姨捨棚田/姨捨の棚田」の位置に示されている[gm 2]。「長楽寺 (千曲市)#文化財」も「参照のこと。
鎌倉時代の歌人・藤原家隆は、田毎月を歌材に「更科や姨捨山の高嶺より嵐をわけていずる月影」と詠んでいる。
千枚田とも呼ばれる多くの棚田が形成されるようになったのは江戸時代からとされているが、上杉謙信が麓の武水別神社に上げた武田信玄打倒の願文(上杉家文書)に「祖母捨山田毎潤満月の影」との行があり、永禄7年(1564年)には田毎に月を映す棚田の存在がすでに広く知られていたと考えるのが相当である(なお、眼下の景観すべてが甲越両軍の12年にわたり5度戦った川中島の戦いの戦場であった)。
安土桃山時代には、豊臣秀吉が、天下に聞こえる月見(観月)の名所として「信濃更科と陸奥雄島、それに勝る京都伏見江」と詠って3箇所を挙げている。負け惜しみを言いながら信濃更科の名月である田毎月を日本三大名月の筆頭に挙げたということになる。ほかにも、近世(安土桃山時代および江戸時代)には、信濃国(現・長野県)の更科、土佐国(現・高知県)の桂浜、山城国(現・京都府南部)の東山を三大に挙げるものと、山城国東山に替えて近江国(現・滋賀県)の石山寺を挙げるものが見られ、これらはいずれも三大の筆頭に信濃更科を挙げている。
このように古より讃えられてきた棚田を主とする地域(長楽寺境内の一部、四十八枚田、姪石〈めいし〉地区、以上3地域)は、1999年(平成11年)5月10日、「姨捨(田毎の月)」名義で国の名勝に指定され[5]、これをもって姨捨棚田は日本で初めて文化財に指定された農耕地となった[5]。のちに上姪石(かみめいし)地区が追加指定される[5]。同年7月16日には農林水産省が選定する「日本の棚田百選」にも選出された[6][7]。また、日経プラスは、2008年(平成20年)9月6日号の1紙面で、全国に数ある月の名所の中から姨捨を第1位の「お月見ポイント」に選んでいる[8]。2010年(平成22年)には、名勝指定地に追加選定地域を合わせて「姨捨の棚田」名義で重要文化的景観に選定された。
棚田の下部地域では、近年[いつ?]の道路工事(1988年)に際して弥生時代の棚田が発掘されていて、棚田周辺には小規模ながら古墳も散在しており、棚田によって一定の勢力を扶植した人々の存在が推定される。
水利
[編集]かつての棚田への水源は更級川水系源流域の湧き水であるが、その後、千曲高原にある人工のため池(大池:江戸時代の明暦年間に整備が始まり[9]、1880年頃には改修)の水を使用していた[6][10]が、夏期の渇水対策として麓を流れる千曲川の水を汲み上げる[11]と共に大池用水と併用利用している。
文化財
[編集]関連項目
[編集]- 建部大垣
- 堀内文次郎
- 姨捨駅 -この駅からの景観は「JR三大車窓」のひとつに数えられる。
- 姨捨SA - 「日本の夜景100選」に数えられる。
- 国道403号沿い千曲川展望公園
- 冠着橋 - 眼下を流れる千曲川にかかる橋のひとつ、幅員が4段階に異なる珍しい橋(旧橋)である。新橋への掛け替え工事が完了し、2016年現在、旧橋の撤去工事が行われている。
- 長楽寺
- 姨捨山冠着宮遙拝所
- 日本国指定名勝の一覧
- うばすてやま - 棄老伝説(仏教経典「雑宝蔵経」の説話)が基になった民話。
- 川中島
脚注
[編集]注釈
[編集]- Googleマップ
- ^ 千曲市八幡(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤い線で囲い表示される。
- ^ a b 姨捨の棚田(地図 - Google マップ) ※該当地域は「姨捨の棚田」名義で赤色でスポット表示される。
- ^ 鏡台山(地図 - Google マップ) ※該当地域は赤色でスポット表示される。
出典
[編集]- ^ “三峰山 日本の火山(第3版)”. 産業技術総合研究所地質調査総合センター. 2013年5月閲覧。
- ^ a b c 斎藤豊「長野県の姨捨土石流堆積物の成因とその形成期」『地すべり』第19巻第2号、日本地すべり学会、1982年、1-5頁、doi:10.3313/jls1964.19.2_1、ISSN 0285-2926、NAID 130001007760、2020年8月18日閲覧。
- ^ a b c “田毎月”. 小学館『精選版 日本国語大辞典』. コトバンク. 2019年6月16日閲覧。
- ^ a b c “田毎の月”. 小学館『デジタル大辞泉』、三省堂『大辞林』第3版、ほか. コトバンク. 2019年6月16日閲覧。
- ^ a b c 歴史文化財センター 文化財係 (2015年6月8日). “名勝「姨捨(田毎の月)」”. 公式ウェブサイト. 千曲市. 2019年6月16日閲覧。
- ^ a b 姨捨(おばすて)【長野県】 関東農政局
- ^ “姨捨(更埴市)”. 日本の棚田百選. 一般社団法人地域環境資源センター. 2017年3月16日閲覧。
- ^ 卯月盛夫「日本三景「松島」(宮城県)の自然景観と地域の生活文化を生かした新たな国際観光の創世に関する研究」(PDF)『研究助成実施報告書』、公益財団法人大林財団、2013年3月、15頁、2017年3月16日閲覧。
- ^ 名月を映す棚田の水源「大池」(千曲市) 長野県 農業用施設の歴史と文化
- ^ 竹内 常行:棚田の水利-信州姨捨, 能登輪島, 越後早川谷の場合 地學雜誌 Vol.84 (1975) No.1 P.1-19
- ^ “長野県 土地改良のしるべ 2000年7月号”. 長野県土地改良事業団体連合会. 2015年7月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年8月20日閲覧。