コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

田浦町 (神奈川県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
たうらまち
田浦町
廃止日 1933年4月1日
廃止理由 編入合併
田浦町横須賀市
現在の自治体 横須賀市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 神奈川県
三浦郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 26,825
国勢調査1930年
隣接自治体 横須賀市
三浦郡逗子町葉山町
久良岐郡六浦荘村
田浦町役場
所在地 神奈川県三浦郡田浦町大字船越字駒寄
座標 北緯35度18分05秒 東経139度37分45秒 / 北緯35.30125度 東経139.62903度 / 35.30125; 139.62903 (田浦町)座標: 北緯35度18分05秒 東経139度37分45秒 / 北緯35.30125度 東経139.62903度 / 35.30125; 139.62903 (田浦町)
ウィキプロジェクト
テンプレートを表示

田浦町(たうらまち)は、神奈川県三浦郡に存在した。本項では前身の浦郷村(うらごうむら)についても記す。

概要

[編集]

神奈川県三浦郡東北部の村。現在の神奈川県横須賀市中心部の北側と久良岐郡(現横浜市)の南端に隣接する。

地理

[編集]

歴史

[編集]

町名の由来

[編集]
  • 浦郷村:旧浦之郷村より。
  • 田浦町:旧田浦村より。海岸線の入り組んだ地形から「手浦」と呼ばれたとされている。

沿革

[編集]
  • 鎌倉時代 - 田浦の地名が見られる
  • 戦国時代 - 浦之郷の地名が見られる。
  • 江戸時代 - 以下の4村が成立。前橋藩は東京湾の海防を担当していた。
    • 浦之郷村(幕府領上野前橋藩領→幕府領)
    • 田浦村(同上)
    • 長浦村(同上)
    • 船越新田(永島段右衛門が開発[1]→前橋藩領→幕府領)
  • 1868年明治元年)
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、上記4村が合併して浦郷村が成立。大字船越(現船越町六丁目69番の市立船越保育園付近)に村役場を設置。
  • 1914年大正3年)6月1日 - 町制施行のうえ改称し田浦町となる。
  • 1926年(大正15年)12月 - 町役場を大字船越字駒寄(現船越町六丁目5番地)に移転。
  • 1933年昭和8年)4月1日 - 横須賀市に編入。同日田浦町廃止。

経済

[編集]
農業

『大日本篤農家名鑑』によれば、浦郷村の篤農家は「金谷運吉、山代峯太郎、湊彪雄」などがいた[2]

交通

[編集]

鉄道路線

[編集]

京急本線の安針塚駅は未開業。

道路

[編集]

現在の町名

[編集]

すべて横須賀市。いずれも大体の範囲。相次ぐ町名変更により旧大字と現行の町の区域は錯綜している。

  • 住居表示実施地区:安針台(一部)、湘南鷹取、鷹取、浜見台、船越町八丁目、港が丘
  • 住居表示未実施地区:浦郷町、追浜町、追浜東町、追浜本町、追浜南町、田浦町、田浦泉町、田浦大作町、田浦港町、長浦町(一部)、夏島町、箱崎町、船越町一 - 七丁目、吉倉町(一部)

脚注

[編集]
  1. ^ 新編相模国風土記稿 1932, p. 311.
  2. ^ 『大日本篤農家名鑑』272頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年9月22日閲覧。

参考文献

[編集]

関連文献

[編集]
  • 船越新田”. 横須賀市 (2018年8月13日). 2021年7月11日閲覧。
  • 「衣掛庄 田浦村/船越新田/長浦村」『大日本地誌大系』 第40巻新編相模国風土記稿5巻之115村里部三浦郡巻之9、雄山閣、1932年8月、310-312頁。NDLJP:1179240/162 

関連項目

[編集]