田野倉清
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Kiyoshi TANOKURA | |
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基本情報 | |
名前 | 田野倉 清 |
生年月日 | 1945年3月27日(79歳) |
国籍 | 日本 |
経歴 |
田野倉 清(たのくら きよし、1945年3月27日 - )は日本のプロゴルファー。
来歴
[編集]1972年にプロ入りするが、1974年の産報クラシックでようやく予選を通過したのが唯一の戦績で、1976年は出場ゼロに終わる[1]。
5年間で獲得賞金が僅か10万円という無名で、近所の河川敷で練習していた[1]。
1977年の阿蘇ナショナルパークオープンでは初日に4バーディ、1ボギーの69で回り、波多野修・野口茂・金井清一・藤井義将・尾崎将司・関水利晃・井上幸一・前田新作を抑えて首位に立った[2]。尾崎・鈴木規夫らの一流を尻目にイン36、アウト33で、インからスタートして前半をパープレー、アウトになって1パットの3バーディという立派なゴルフであった[1]。田野倉自身も「どういうわけでしょうか…」と驚き、同じプロ仲間でも「田野倉ってどんな選手?」[1]と言うほどであったが、2日目には30位に後退した[3]。
著書
[編集]- 「オール図解最新ゴルフ・ルール解説―これだけは知っておきたい165のエチケットとルール」梧桐書院、1988年2月1日、ISBN 434009000X
脚注
[編集]- ^ a b c d 朝日新聞縮刷版p295 昭和52年4月9日朝刊15面 ハーフタイム
- ^ 朝日新聞縮刷版p295 昭和52年4月9日朝刊15面「田野倉が首位に 阿蘇オープン・ゴルフ」
- ^ 朝日新聞縮刷版p324 昭和52年4月10日朝刊16面「新井規ら三人首位に並ぶ 阿蘇オープン・ゴルフ」