田野畑村立田野畑小学校
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田野畑村立田野畑小学校 | |
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北緯39度55分49.76秒 東経141度53分23.13秒 / 北緯39.9304889度 東経141.8897583度座標: 北緯39度55分49.76秒 東経141度53分23.13秒 / 北緯39.9304889度 東経141.8897583度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 田野畑村 |
併合学校 |
田野畑村立田野畑小学校(旧) 田野畑村立島越小学校 田野畑村立机小学校 田野畑村立沼袋小学校 田野畑村立浜今泉小学校 田野畑村立羅賀小学校 |
設立年月日 | 2010年4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B103248400012 |
所在地 | 〒028-8407 |
岩手県下閉伊郡田野畑村田野畑136番地 | |
外部リンク | 公式サイト未開設 |
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田野畑立田野畑小学校(たのはたそんりつ たのはたしょうがっこう)は、岩手県下閉伊郡田野畑村田野畑にある公立小学校。通称は田小(たしょう)。
前身の旧・田野畑小学校についても記載する。
概要
[編集]田野畑村の中心部に位置する。村唯一の小学校で、2010年に村内6小学校を統合して開校した[1]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 旧・田野畑小学校
前身となる旧・田野畑小学校は、1872年に発せられた学制によって開校することとなる。4年後の1876年6月、「田野畑学校」として菅窪の畠山家(田野畑村98番地)を借用して開校した[3]。翌7月には村内と、隣接する浜岩泉村の各集落に6つの分校を開設した。いずれも民家を借用する形をとった[4]。
- 一番分校(田野畑村字七滝123番地、熊谷家)
- 二番分校(浜岩泉村字猿山30番地、熊谷家)
- 三番分校(浜岩泉村字大芦8番地、和山家)
- 四番分校(浜岩泉村字嶋の越111番地、箱石家)
- 五番分校(田野畑村字羅賀70番地、大澤家)
- 六番分校(田野畑村字机38番地、立花家)
開設当初は番号を名称としていたが、のちに地名を冠するようになった[5]。
1879年12月、浜岩泉村の3校(猿山分校[注 1]、浜岩泉分校[注 2]、島ノ越分校[注 3])を当学区より分離させ、単独校とするよう分裂願を出した[6]。その後順次独立し、1880年には「公立田野畑小学校」と校名を改めた[6][7]。さらに1886年には小学校令が改正され、「田野畑簡易小学校」となった[8][7]。
- 新制・田野畑小学校
人口減少による児童数の減少と施設老朽化により、村内6小学校を統合して開校した[7][1]。
年表
[編集]- 1876年(明治9年)
- 1880年(明治13年) - 「公立田野畑小学校」に改称[7]。
- 1886年(明治19年) - 小学校令改正により、「田野畑簡易小学校」に改称[7][8]。
- 1890年(明治23年) - 机分教場を開設[7]。
- 1892年(明治25年) - 小学校令改正により、「田野畑尋常小学校」に改称。羅賀と七滝の簡易小学校を分教場に移行[9]。
- 1896年(明治29年)6月15日 - 明治三陸津波により羅賀分教場の校舎が流失[10]。
- 1893年(明治31年)3月 - 羅賀分教場の校舎を再建[10]。
- 1911年(明治44年)10月17日 - 大洪水により校舎が流失。民家を仮校舎に充てる[11]。
- 1914年(大正3年) - 田野畑133番1号に校舎を落成し、移転[7]。
- 1917年(大正6年)4月 - 羅賀分教場が羅賀尋常小学校として独立。あわせて机分教場も移管[12]。
- 1927年(昭和2年) - 田野畑133番地に新校舎を落成し、移転[7]。
- 1928年(昭和3年)6月 - 高等科を開設し、「田野畑尋常高等小学校」に改称[13][7]。
- 1929年(昭和4年) - 七滝分校を新築移転[7]。
- 1935年(昭和10年)11月 - 田野畑青年学校を併設[14][15]。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令により、「田野畑国民学校」に改称[7][16]。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革により、「田野畑村立田野畑小学校」に改称[7][17]。田野畑中学校を併設(1953年まで)[18]。
- 1961年(昭和36年) - 田野畑136番地(現在地)に校舎新築移転。校歌を制定[7]。
- 1965年(昭和40年)4月 - 文部省より道徳教育研究指定校に指定される[19]。
- 1967年(昭和42年)3月 - 屋内運動場を落成[20]。
- 1976年(昭和51年) - 創立100周年記念式典を挙行。校章を制定[7]。
- 1988年(昭和63年) - スクールバンドを結成。七滝分校を廃止[7]。
- 1997年(平成9年) - 新校舎を落成[7]。
- 2002年(平成14年) - 学校週5日制を実施[21]。
- 2006年(平成18年) - 創立130周年記念式典を挙行[7]。
- 2010年(平成22年)
- 2016年(平成28年) - ICT教育環境整備を開始[21]。
- 2020年(令和2年)3月 - 教室などにエアコンを設置[21]。
施設概要
[編集]主な施設。
- 校舎
- 体育館
- 校庭
- たのはた放課後児童クラブ
通学区域
[編集]- 田野畑村全域[23]
進学先中学校
[編集]アクセス
[編集]バス
[編集]- 田野畑村コミュニティバス「タノくんバス」で、「田野畑小」停留所下車。
自動車
[編集]周辺
[編集]- 国道45号
- 田野畑村役場
- 田野畑村民族資料館
- 国民健康保険田野畑診療所
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 「はつらつ開校式 田野畑小 6校の伝統胸に」『岩手日報』2010年4月7日、朝刊、15面。
- ^ a b “広報たのはた No.519”. 田野畑村 (2010年5月1日). 2024年11月8日閲覧。
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, pp. 1006–1007.
- ^ a b c 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1007.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, pp. 1007, 1009.
- ^ a b 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1009.
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s “広報たのはた No.518”. 田野畑村 (2010年4月1日). 2024年11月8日閲覧。
- ^ a b 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1011.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, pp. 1011–1012.
- ^ a b 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1012.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1014.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1015.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1019.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1020.
- ^ 文部省社会教育局『青年学校名簿 昭和11年4月末日現在』文部省社会教育局、1937年3月30日、150頁。doi:10.11501/1278127。
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1021.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1022.
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, pp. 1022–1023.
- ^ 岩手県教育庁総務課 編『岩手県教育年報 1966』岩手県教育庁、1967年7月10日、61頁。doi:10.11501/9527597。
- ^ 田野畑村史編さん委員会 1985, p. 1025.
- ^ a b c “田野畑村 村総ぐるみの教育活動 ~コミュニティ・スクールと教育振興運動の一体的推進~”. 岩手県立生涯学習推進センター (2021年). 2024年11月8日閲覧。
- ^ a b “学校一覧 平成22年度”. 岩手県. p. 16 (2010年). 2024年11月8日閲覧。
- ^ a b “田野畑村立小・中学校の通学区域を定める規則”. 田野畑村例規集. 田野畑村. 2024年11月8日閲覧。
参考文献
[編集]- 田野畑村史編さん委員会 編『田野畑村史 1 考古編・近世資料編・近代資料編・年表』田野畑村、1985年3月。doi:10.11501/9571402。 NCID BN05871518。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]学校単独のホームページは開設していない。
- 小・中学校の紹介 - 田野畑村ホームページ