由布惟義
表示
由布 惟義(ゆふ これよし、1850年1月9日(嘉永2年11月26日[1][2])- 1925年(大正14年)7月22日[2][3])は、幕末の柳河藩士、明治から大正期の政治家。衆議院議員、福岡県会議長。
経歴
[編集]筑後国山門郡柳川城下奥州小路[2](福岡県[3]山門郡城内村[4]字奥州町[1]、柳川町を経て現柳川市奥州町)で、柳河藩士の家に生まれた[1]。1861年(文久元年9月)家督を相続した[2]。藩校伝習館(現福岡県立伝習館高等学校)で学んだ[3]。戊辰戦争に従軍し[1][2][3]、二等小隊長に就任[2][4]。東京市中取締に従事[2]。1870年(明治3年10月)に帰藩した[2]。以後、柳河藩二等隊長、三潴県凖等外戸長、福岡県9等属などを歴任した[2]。
1878年(明治11年)12月、福岡県会議員に選出され[2]、8期在任し、同常置委員、同議長も務めた[1][2][3][4]。1879年(明治12年)7月、三池郡書記に任じられ、福岡県8等属、山門郡1番学区学務委員などを務めた[2]。1890年(明治23年)3月、城内村会議員に就任[2]。その他、山門郡会議員、福岡県教育会長、地方衛生会委員などにも在任した[1][3][4]。
1902年(明治35年)8月、第7回衆議院議員総選挙(福岡県郡部)で初当選[1][5]。以後、第9回総選挙まで2回再選され[5]、衆議院議員に連続3期在任した[3][4]。
1913年(大正2年)6月、立花伯爵家から家令心得を委嘱された[2][3]。
国政選挙歴
[編集]- 第7回衆議院議員総選挙(福岡県郡部、1902年8月、立憲政友会)当選[5]
- 第8回衆議院議員総選挙(福岡県郡部、1903年3月、立憲政友会)当選[5]
- 第9回衆議院議員総選挙(福岡県郡部、1904年3月、立憲政友会)当選[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 初版』人事興信所、1915年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 「由布惟義特旨叙位ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11113534200