三潴県
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三潴県(みずまけん)は、明治4年(1871年)に筑後国を管轄するために設置された県。管轄地域は、当初は現在の福岡県筑後地方、のちに佐賀県が合併された。
概要
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沿革
[編集]- 明治4年11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により久留米県、三池県、柳川県が統合され、筑後国に三潴県が発足。県庁は三潴郡榎津町(現在の大川市大字榎津)に設置されるが、まもなく三潴郡向島村字若津(現在の大川市大字向島字若津)に移転。
- 明治5年(1872年) - 県庁が御井郡両替町(現在の久留米市城南町。旧久留米城御使者屋)に移転。
- 1876年(明治9年)
管轄地域
[編集]カッコ内は現在の地域名。肥前国は佐賀県(第2次)を合併した地域。
歴代知事
[編集]- 1871年(明治4年)11月14日 - 1873年(明治6年)7月23日 : 参事・水原久雄(元岡山藩士)
- 1873年(明治6年)7月24日 - 1875年(明治8年)10月30日 : 権令・岡村義昌(前兵庫県参事、元鶴舞藩士)
- 1875年(明治8年)10月30日 - 1876年(明治9年)8月21日 : 権令・平川光伸(前度会県参事、元岡山藩士)
関連項目
[編集]先代 久留米県・三池県・柳川県 佐賀県(第2次) |
行政区の変遷 1871年 - 1876年 |
次代 福岡県(筑後国) 長崎県(肥前国) |