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石鉄県

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石鉄県旧字体石鐵縣、いしづちけん[1][2][3][4]、せきてつけん[5][6][7][8][9])は、1871年明治4年)に伊予国北部を管轄するために設置された。現在の愛媛県中予地方東予地方にあたる。本項では前身である松山県(まつやまけん。第1次府県統合後)についても記す。

県名について

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由来

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石鉄県の名は、石鎚山(石鈇山[注釈 1]、いしづちやま/いしづちさん)に由来する。ただし「鉄(鐵)」の字を用いたことについては、石鎚山の別表記の一つである「石鈇山」の「[注釈 2]の字を「鉄」[注釈 3]と混同したためではないかとされている[12][13]

明治4年7月(1871年8月)の廃藩置県に伴い設置された西条・小松・今治・松山の4県が、同年11月に統合され「松山県」が発足。明治5年(1872年)正月の稟請書によれば、人民の耳目を一新すべく県名を改めることとし、管内の中央にあって「四国第一ノ峻岳霊地」である石鎚山の名を採用すると説明されている[12]。明治5年2月9日付の太政官布告で「松山県石鐵県卜被改候事」と通告された[12][14]

「鉄」の字体

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「鉄(鐵)」には多くの字体があり、明治5年2月9日付の太政官布告は「石䥫縣」(䥫:金偏に截)の字体で記録されているが[15][14]、「石𨯒縣」(𨯒:金偏に韯)[16]を用いるものも多く見られ、県の廃止時には「石鐵縣」の字体で記録されている[17](『太政類典』には「石䥫」を「石鐵」に修正する書き込みがある[18])。他に「石銕縣」[19]と記すものもある。現代の文章や事典・データベース等では標準字体(新字体)である「石鉄県」が多く用いられるが[20][注釈 4]固有名詞部分で正字「鐵」を採った「石鐵県」も用いられ[21]、愛媛県地域では『愛媛県史』をはじめとして「石鐡県」の字体を用いる例が見られる[12][22]

読み

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県名の読み方については、冒頭に掲げた通り「いしづち」「せきてつ」の2種がある。『松山市史 第三巻 近代』では「石鉄県」に「せきてつ」「いしづち」2通りの読み仮名が振ってある。

沿革

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後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における松山県
後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における松山県

管轄地域

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歴代知事

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松山県

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石鉄県

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  • 1872年(明治5年)2月9日 - 1873年(明治6年)2月20日 : 参事本山茂任(前松山県参事)

脚注

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注釈

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  1. ^ 石鎚神社も古くは「石鈇山社」「石鈇権現」「石鈇神社」などといった表記がされていた。
  2. ^ 「斧」の意[10]
  3. ^ 」は「」に対する「新字体」とされているが、「新字体」は第二次世界大戦後の国語改革期に新しく創られた文字ではなく[11]、「鉄」も「鐵」の異体字として古くから用いられてきた文字である。
  4. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブでは「石鉄県」の字体で件名登録している。

出典

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  1. ^ 愛媛県企画振興部総合政策課. “愛媛県庁ホームページ/県名の由来・生い立ち”. 2022年6月1日閲覧。
  2. ^ a b 愛媛県. “県の予算 県勢のあらまし”. 2014年2月2日閲覧。文書の右下、「県のおいたち」の節を参照。
  3. ^ 国立公文書館デジタルアーカイブ. “伊豫久米浮穴の三郡絵図”. 2011年7月20日閲覧。
  4. ^ 愛媛県のおいたち”. 愛媛県企画振興部広報広聴課. 2014年4月30日閲覧。
  5. ^ 愛媛県の地名 日本歴史地名大系第三九巻 平凡社[要ページ番号]
  6. ^ 角川日本地名大辞典 38 愛媛県 角川書店[要ページ番号]
  7. ^ 日本大百科全書 小学館[要ページ番号]
  8. ^ 愛媛県百科大事典 愛媛新聞社[要ページ番号]
  9. ^ 愛媛県の歴史 県史38 山川出版社[要ページ番号]
  10. ^ 元別子銅山文化遺産課長 坪井利一郎; 新居浜市立図書館 (2016年11月12日). “別子山村郷土誌と別子山村史”. 2022年5月29日閲覧。
  11. ^ 銭谷真人 (2019年1月22日). “「国」と「國」のように,昔と今とで形がちがう漢字があるのはなぜですか”. ことば研究館. 国立国語学研究所. 2022年6月1日閲覧。
  12. ^ a b c d 二 石鐡県政と神山県政”. 愛媛県史 近代 上(昭和61年3月31日発行). 2022年6月1日閲覧。
  13. ^ 徳島県立図書館(回答) (2021年4月17日). “『愛媛県百科大事典』(愛媛新聞社/編 愛媛新聞社 1985.06)の「廃藩置県」の項に、「松山県は石鉄県になった」とあるが、「鉄」ではなく「鈇(金偏に夫)」(石鎚山のツチ)ではないか。”. レファレンス協同データベース. 2022年6月1日閲覧。
  14. ^ a b アジア歴史資料センター 「松山県石鉄県と相致居義太政官より達の件」JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04024991200、明治5年 「大日記 壬申2月 太政官之部 戊」(防衛省防衛研究所)
  15. ^ 松山県ヲ石鉄県ト改ム”. 太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第九十五巻・地方一・行政区一. 国立公文書館. 2022年6月1日閲覧。
  16. ^ 石鉄県庁ヲ三津町ヘ移ス”. 太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第百三巻・地方九・地方官庁制置二. 国立公文書館. 2022年6月1日閲覧。
  17. ^ 石鉄等四県廃合ノ儀伺”. 公文録・明治六年・第百十三巻・明治六年二月・大蔵省伺(三). 国立公文書館. 2022年6月1日閲覧。
  18. ^ 香川県ヲ廃シ名東県ヘ合併神山石鉄ノ二県ヲ廃シ愛媛県ヲ置ク”. 太政類典・第二編・明治四年~明治十年・第九十五巻・地方一・行政区一. 国立公文書館. 2022年6月1日閲覧。
  19. ^ 石鐡県設置ニ付、近傍区左之如シ(国府叢書 巻十三)”. 今治市立図書館/国府叢書・文化財絵はがき(ADEAC). 2022年6月1日閲覧。
  20. ^ 松山藩〈伊予国〉」『藩名・旧国名がわかる事典』https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E8%97%A9%E3%80%88%E4%BC%8A%E4%BA%88%E5%9B%BD%E3%80%89#E8.97.A9.E5.90.8D.E3.83.BB.E6.97.A7.E5.9B.BD.E5.90.8D.E3.81.8C.E3.82.8F.E3.81.8B.E3.82.8B.E4.BA.8B.E5.85.B8コトバンクより2023年7月30日閲覧 
  21. ^ 景浦勉「松山藩(伊予国)」『日本大百科全書(ニッポニカ)』https://kotobank.jp/word/%E6%9D%BE%E5%B1%B1%E8%97%A9%EF%BC%88%E4%BC%8A%E4%BA%88%E5%9B%BD%EF%BC%89#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29コトバンクより2023年7月30日閲覧 
  22. ^ 石鉄県管内図”. 愛媛県立図書館/愛媛県行政資料(藩政期・明治期)(ADEAC). 2022年6月1日閲覧。
  23. ^ 愛媛県. “愛媛県政発足記念日について”. 2014年2月2日閲覧。

関連項目

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先代
西条県小松県今治県松山県
行政区の変遷
1871年 - 1873年 (松山県→石鉄県)
次代
愛媛県