美々津県
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美々津県(みみつけん)は1871年(明治4年)に日向国北部を管轄するために設置された県。現在の宮崎県北部にあたる。
概要
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第1次府県統合により延岡県、高鍋県、佐土原県を統合し、日田県のうち旧富高県、人吉県のうち臼杵郡椎葉地方4村の移管を受けて成立。その後、都城県の一部(日向国)と合併して宮崎県が発足し消滅するまで1年3ヵ月ほどであった[1]。
美々津県参事の福山健偉は引き続き宮崎県(第1次)参事を務めた。
沿革
[編集]- 1871年(明治4年)11月14日 - 第1次府県統合により延岡県、高鍋県、佐土原県を統合し、日田県のうち旧富高県、人吉県のうち臼杵郡椎葉地方4村の移管を受けて美々津県が発足。県庁は児湯郡美々津町(現日向市美々津町3432-1、日向市役所美々津支所)に設置。都城県との境界はおおむね大淀川とされた[2]。
- 1872年(明治5年)
- 1873年(明治6年)1月15日 - 都城県の一部(日向国)と合併して宮崎県が発足。同日美々津県廃止[4][5][6]。
管轄地域
[編集]歴代知事
[編集]- 1871年(明治4年)11月14日[2] - 1871年(明治4年)12月17日[注釈 2]:参事・橋口兼三[2](前鹿児島県権大参事、元鹿児島藩士)
- 1871年(明治4年)12月18日[注釈 3] - 1873年(明治6年)1月15日:参事・福山健偉(元鹿児島藩士)
参考文献
[編集]本文の典拠。主な編著者の順。
- 甲斐亮典(監修)『図説東臼杵・西臼杵の歴史』郷土出版社〈宮崎県の歴史シリーズ〉、2008年。
- 「■近代美々津県の発足 一年三か月の短命に終わる」p172
- 「日向国世直し一揆の珍事 高千穂・細島一揆」p174
- 我部政男、広瀬順晧 編『国立公文書館所蔵 勅奏任官履歴原書』 下巻、柏書房、1995年、76頁。
- 喜田貞吉 編「第十編 明治時代史」『日向国史』(下巻)史誌出版社、1930年(昭和5年)、(コマ番号0293.jp-)頁。doi:10.11501/1213695。インターネット公開[注釈 4]
- 「第一章 府縣藩三治時代」p565 (0293.jp2)
- 「第一節 戊辰戰役と國內諸藩」565 (0293.jp2)
- 「第二節 高鍋藩」p590 (0306.jp2)
- 「第三節 飫肥藩」p613 (0317.jp2)
- 「第四節 佐土原藩」p636 (0329.jp2)
- 「第五節 延岡藩」p652 (0337.jp2)
- 「第六節 富高縣」p657 (0339.jp2)
- 「第七節 日田縣」p659 (0340.jp2)
- 「第二章 版籍奉還と廢藩置縣」p683 (0352.jp2)
- 「第一節 版籍奉還」p683 (0352.jp2)
- 「第二節 廢藩置縣」p688 (0355.jp2)
- 「第三章 美々津縣、都城縣の並置と八代縣の分管」p699 (0360.jp2)
- 「第一節 美々津縣」 p699 (0360.jp2)
- 「第二節 都城縣」p708 (0365.jp2)
- 「第三節 八代縣」p723 (0372.jp2)
- 「第四章 宮崎縣の設置」p736 (0379.jp2)
- 「第一節 宮崎縣の創置」p736 (0379.jp2)
- 「第二節 鹿兒島縣管下時代」p795 (0408.jp2)
- 「第三節 宮崎縣の再置」p815 (0418.jp2)
- 「第一章 府縣藩三治時代」p565 (0293.jp2)
- 「美々津都城ノ二県ヲ廃シ宮崎県ヲ置」『布告類編 明治6年』(和装) 9巻、記録課、東京、明治7年11月、1丁 (コマ番号0008.jp2)頁。doi:10.11501/787809。インターネット公開。
- 新聞集成明治編年史編纂会(編)「新聞集成明治編年史」、林泉社、1936年-1940年、全国書誌番号:50002761。
- 「美々津、都城二縣廢止」三
- 太政官「八代県管轄肥後国球磨郡ノ内ヲ美々津県ニ交割セシム」『日本法令索引』(明治前期編)、1872a。
- 太政官「八代県管轄肥後国球磨郡ヲ美々津県ニ管轄セシム」『日本法令索引』(明治前期編)、1872b。
- 太政官「美々津県地所物成郷村等宮崎県ヘ引渡サシム」『日本法令索引』(明治前期編)、1873年。
- 日向市史編さん委員会 編「美々津県庁文書1」『日向市史 史料編』日向市、2003年、25頁。
- 日向市史編さん委員会 編「美々津県庁文書2」『日向市史 史料編 [2]』日向市、2004年。
- 宮崎県 編『宮崎県史 通史編』(近・現代 1)宮崎県。
- 「明治維新と日向諸藩の動向 §藩制改革」p15
- 「第二節 廃藩置県 §第一項 美々津県・都城県の設置」p17
- 「日向国の廃藩置県」p17
- 「美々津県政」p19
- 「都城県政」p22
- 「両県間に派生した問題点」p24
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ 甲斐 2008, p. 172.
- ^ a b c d e 喜田 1930, p. 699, 「第三章 美々津縣、都城縣の並置と八代縣の分管 §第一節 美々津縣」
- ^ 太政官 & 1872年a, 八代県管轄肥後国球磨郡ノ内ヲ美々津県ニ交割セシム
- ^ 太政官 1873
- ^ 『布告類編』, 第9巻.
- ^ 新聞集成明治編年史 & 1936-1940, p. 3, 「美々津、都城二縣廢止」.
- ^ 『日向市史』史料編 2003, p. 25
- ^ 我部政男・広瀬順晧 1995, p. 76
関連資料
[編集]発行年順。
- 禿氏祐祥 著「日向國美々津縣合寺の件」、村上専精 等 編『明治維新神仏分離史料 続編』 上、東方書院、1928年(昭和3年)、p977 (コマ番号0512.jp2)頁。doi:10.11501/1178624。国立国会図書館限定。神仏毀釈について。
- 石川恒太郎 編「第五項 美々津縣時代」『富島町史』(マイクロ)富島町(宮崎県)、1941年(昭和16年)、231- (コマ番号0125.jp2)頁。doi:10.11501/1042236。国立国会図書館内/図書館・個人送信。
- 小寺鉄之助(編著)「第二章 明治一揆篇 §三、佐土原・高鍋百姓一揆(五年九、十月)」『宮崎県編年史料』 別巻 (宮崎県百姓一揆史料)(2版)、宮崎県史料編纂会、1956年。doi:10.11501/2993919。国立国会図書館内/図書館・個人送信
- 「同※五年美々津県旧記南北郡治所一巻、庁中万留、東京案文、東京支庁掛合案、鹿児島県美々津県到来留(宮崎県立図書館蔵)」※=明治。
- 「十二、補遺 §」(八)美々津の米騒動(二十三年)」p205 (コマ番号0113.jp2)
- 石川恒太郎 編『写真集明治大正昭和日向』(マイクロ)国書刊行会〈ふるさとの想い出142〉、1980年。doi:10.11501/9773351。国立国会図書館限定。
- 「古代を偲ぶ」
- 「15 美々津房ノ下古墳 I」p12
- 「16 美々津房ノ下古墳 II」p12
- 「17 美々津房ノ下古墳 III」p13
- 「18 美々津房ノ下古墳 IV」p13
- 「港の風景」
- 「64 美々津港の景 I」p40
- 「65 美々津港の景 II」p/42
- 「66 美々津港の景 III」p42
- 「67 美々津港遠望」p43
- 「68 美々津港 I」p44
- 「69 美々津港 II」p44
- 「70 美々津港 III」p45
- 「71 美々津港 IV」p45
- 「明治初期」
- 「72 美々津県庁跡」p46
- 「市街地」
- 「83 美々津市街の舗装」p55
- 「142 美々津駅開業」p84
- 「148 美々津の松並木」p90
- 「149 美々津の松並木」p90
- 「158 美々津の七夕祭りパレード」p96
- 「169 美々津川口の風景」p101
- 「古代を偲ぶ」
- 「美々津県届 佐土原藩内神社調査同※」p6、p8、R-49
- 「神社調査(元美々津県・石鉄県)明治6.1. 」R-61
- 「宮崎県県社申立 明治6.4.」R-61
- 「第三章 行政 §第一節 延岡県から美々津県時代の四村」p408
- 「(一) 明治はじめの四村」p408
- 「(二) 宮崎県の誕生と四村」p416
- 「第五章 産業・経済 第八節 観光・レクリェーション」
- 「五 美々津ゴルフ場」p1049
- 「西南戦争は何であったか」p304
- 「第三章 行政§第一節 二村時代」p307
- 「(一) 延岡県から美々津県時代の二村」p307
- 「(二) 宮崎県の誕生と北川の二村」p314
- 「(三) 鹿児島県時代の二村」p318
- 「菊池の殿様と米良山 八代県から美々津県さらに宮崎県」p176
- 「一 幕府体制の崩壊と廃藩置県」p3(「戊辰戦争神仏分離令と廃仏毀釈」「府県藩三治制と廃藩置県」)
- 「二 美々津県時代(明治四年十一月十四日~明治六年一月十五日)」p8(「美々津県の設置と県域の変更」「米良山の教育大区小区制の導入」
- 「三 明治初期の騒擾事件と美々津県の廃止」p13
関連項目
[編集]先代 延岡県・高鍋県・佐土原県・富高県 |
行政区の変遷 1871年 - 1873年 |
次代 宮崎県(第1期) |