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甲斐仁志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

甲斐 仁志(かい ひとし、1946年2月 - )は狭山事件研究者。本名、雛元 昌弘[1]日向 勤(ひな つとむ)名義による著作もある[1]。株式会社都市構造研究所代表取締役[2]

経歴

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岡山生まれ[3]兵庫県姫路市出身[2][4]兵庫県立姫路西高等学校を経て京都大学工学部建築学科卒業後[2][5]、京都大学工学部大学院離籍[4]

もともと部落問題には無関心だったが、1970年頃、ある雑誌の創刊に関与し、部落解放同盟中央本部中央執行委員長(当時)の朝田善之助の元へ創刊誌を持参した折、当時控訴審の段階にあった狭山裁判のことを朝田から聞かされ、狭山事件と出会う[5]1971年、大阪浪速地区総合計画に参加[3]1973年解放新聞社に入り、狭山弁護団事務局に参加[3]

1988年に『狭山事件を推理する』を三一書房から刊行[5]2010年からウェブサイト「新推理・狭山事件」で自らの推理を発表[4]2014年、『最終推理 狭山事件――浮かびあがる真犯人』を明石書店から刊行[4]。まちづくり計画の会社経営[4]やコンサルタント[5]を経験。趣味は古代史研究と愛犬[5]

甲斐仁志とは「かいじん4」をもじった変名であり、「『かい人21面相』を超える狭山事件の真犯人と較べると、私は4つの顔(怪人、解人、諧人、海人)ぐらいしか持っていないから」と由来を語っている[6]

パソコン遠隔操作事件の真犯人逮捕について「私は狭山事件の経験から、誤認逮捕との強い懸念を持ってきた」、「実際に逮捕・取調を受けた経験者なら、同じように冤罪者を苦しめることは考えにくい。私がKさんは無実であると考えるのは、この動機の点が一番大きい」と発言している[7]

著書

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甲斐仁志名義

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  • 『狭山事件を推理する―Vの悲劇』(三一書房、1988年)
  • 『最終推理 狭山事件――浮かびあがる真犯人』(明石書店、2014年)

雛元昌弘名義

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  • 『冤罪・狭山事件』(現代書館、1984年)

日向勤名義

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  • 『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院、2009年)

脚注

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