甲斐仁志
甲斐 仁志(かい ひとし、1946年2月 - )は狭山事件研究者。本名、雛元 昌弘[1]。日向 勤(ひな つとむ)名義による著作もある[1]。株式会社都市構造研究所代表取締役[2]。
経歴
[編集]岡山生まれ[3]、兵庫県姫路市出身[2][4]。兵庫県立姫路西高等学校を経て京都大学工学部建築学科卒業後[2][5]、京都大学工学部大学院離籍[4]。
もともと部落問題には無関心だったが、1970年頃、ある雑誌の創刊に関与し、部落解放同盟中央本部中央執行委員長(当時)の朝田善之助の元へ創刊誌を持参した折、当時控訴審の段階にあった狭山裁判のことを朝田から聞かされ、狭山事件と出会う[5]。1971年、大阪浪速地区総合計画に参加[3]。1973年、解放新聞社に入り、狭山弁護団事務局に参加[3]。
1988年に『狭山事件を推理する』を三一書房から刊行[5]。2010年からウェブサイト「新推理・狭山事件」で自らの推理を発表[4]。2014年、『最終推理 狭山事件――浮かびあがる真犯人』を明石書店から刊行[4]。まちづくり計画の会社経営[4]やコンサルタント[5]を経験。趣味は古代史研究と愛犬[5]。
甲斐仁志とは「かいじん4」をもじった変名であり、「『かい人21面相』を超える狭山事件の真犯人と較べると、私は4つの顔(怪人、解人、諧人、海人)ぐらいしか持っていないから」と由来を語っている[6]。
パソコン遠隔操作事件の真犯人逮捕について「私は狭山事件の経験から、誤認逮捕との強い懸念を持ってきた」、「実際に逮捕・取調を受けた経験者なら、同じように冤罪者を苦しめることは考えにくい。私がKさんは無実であると考えるのは、この動機の点が一番大きい」と発言している[7]。
著書
[編集]甲斐仁志名義
[編集]- 『狭山事件を推理する―Vの悲劇』(三一書房、1988年)
- 『最終推理 狭山事件――浮かびあがる真犯人』(明石書店、2014年)
雛元昌弘名義
[編集]- 『冤罪・狭山事件』(現代書館、1984年)
日向勤名義
[編集]- 『スサノオ・大国主の日国―霊の国の古代史』(梓書院、2009年)
脚注
[編集]- ^ a b https://archive.fo/1JOJF
- ^ a b c https://archive.fo/V3xk7
- ^ a b c 『冤罪狭山事件』175頁
- ^ a b c d e 甲斐 仁志 - 株式会社 明石書店
- ^ a b c d e 推理・狭山事件~自己紹介[リンク切れ]
- ^ 109 「新推理・狭山事件45 『かい人21面相』を超える真犯人」アップ[リンク切れ]
- ^ 冤罪考3 パソコン遠隔操作事件と狭山事件