町尻量衡
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町尻量衡 | |
時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
生誕 | 文政11年12月1日(1829年1月6日) |
死没 | 明治40年(1907年)4月22日[1] |
官位 | 正五位上、右近衛少将、子爵 |
主君 | 孝明天皇→明治天皇 |
氏族 | 豊岡家→町尻家 |
父母 | 父:豊岡治資、養父:町尻量輔 |
兄弟 |
豊岡随資、園池公宜、量衡 養兄弟:錦小路頼徳、量政 |
妻 | 慈光寺明子(慈光寺実仲[2]の娘) |
子 | 量弘、量能、大岡忠量 |
町尻 量衡(まちじり かずひら)は、幕末の公家、明治期の政治家。子爵。町尻家10代当主・石高30石。
経歴
[編集]権中納言・町尻量輔の養子となった。官位は正五位上・右近衛少将。
1884年7月8日、子爵を叙爵した[3]。明治40年(1907年)死去。
栄典
[編集]系譜
[編集]- 父:豊岡治資
- 母:不詳
- 養父:町尻量輔 - (1802-1874)。公卿。町尻家9代町尻量聰の子[5]。水無瀬家15代水無瀬兼俊の次男[6]。廷臣八十八卿の一人。
- 妻:明子 - 慈光寺実仲の娘
- 生母不明の子女
脚注
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
子爵 町尻家初代 1884年 - 1907年 |
次代 町尻量弘 |