畠山基利
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畠山 基利(はたけやま もととし、享和3年1月14日(1803年2月5日) - 天保11年2月19日(1840年3月22日))は、高家旗本。左衛門[1][2]。官位は中務大輔、紀伊守、式部大輔[1][2]。
略歴
[編集]畠山国祥の息子として生まれる。
文化8年(1811年)12月27日、国祥の死去により家督を相続する。文政2年(1819年)2月28日、将軍徳川家斉に御目見する。文政6年(1823年)12月4日、晋姫と結婚する。文政9年(1826年)11月15日、高家職に就き、従五位下侍従に叙任する[1][2]。後に式部大輔、中務大輔に改める。
正妻は、播磨国明石藩藩主・松平直泰の娘・晋姫(離婚)。養子・基徳らの子女あり。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 東京大学史料編纂所 編『大日本近世史料』《柳営補任 一》東京大学出版会、1963年3月25日。NDLJP:12279917。
- 小川恭一編著『寛政譜以降 旗本家百科事典』 第4巻、東洋書林、1998年5月10日。ISBN 4-88721-306-9。
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