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畠山基利

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

畠山 基利(はたけやま もととし、享和3年1月14日1803年2月5日) - 天保11年2月19日1840年3月22日))は、高家旗本。左衛門[1][2]。官位は中務大輔紀伊守式部大輔[1][2]

略歴

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畠山国祥の息子として生まれる。

文化8年(1811年)12月27日、国祥の死去により家督を相続する。文政2年(1819年)2月28日、将軍徳川家斉御目見する。文政6年(1823年)12月4日、晋姫と結婚する。文政9年(1826年)11月15日、高家職に就き、従五位下侍従に叙任する[1][2]。後に式部大輔、中務大輔に改める。

天保11年(1840年)、死去[1][2]。37歳。

正妻は、播磨国明石藩藩主・松平直泰の娘・晋姫(離婚)。養子・基徳らの子女あり。

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d 東京大学史料編纂所 1963, p. 50.
  2. ^ a b c d 小川 1998, p. 2163.

参考文献

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  • 東京大学史料編纂所 編『大日本近世史料』《柳営補任 一》東京大学出版会、1963年3月25日。NDLJP:12279917 
  • 小川恭一編著『寛政譜以降 旗本家百科事典』 第4巻、東洋書林、1998年5月10日。ISBN 4-88721-306-9 
先代
畠山国祥
高家河内畠山家当主
1811年 - 1840年
次代
畠山基徳