畠山国祥
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 文化8年(1811年)11月29日 |
別名 | 通称:栄三郎 |
官位 | 従五位下侍従、紀伊守 |
幕府 | 江戸幕府高家旗本 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 高家河内畠山氏 |
父母 | 父:畠山国儔、母:市橋長璉娘 |
兄弟 | 女子、国祥、岩之進、熊之助 |
妻 | 正室(松平乗友娘) |
子 | 基利ら |
畠山 国祥(はたけやま くにあきら[1])は、江戸時代後期の高家旗本。
略歴
[編集]寛政12年(1800年)11月15日、11代将軍・徳川家斉に御目見する。享和元年(1801年)12月4日、国儔の死去により家督を相続する。文化4年(1807年)4月25日、表高家より高家職に就き、従五位下侍従[3][2]・紀伊守に叙任する。
文化8年(1811年)11月29日、死去[3][2]。27歳[要出典]。
妻は三河国奥殿藩藩主・松平乗友の娘[1]。息子・基利らの子女あり。
注釈
[編集]参考文献
[編集]- 東京大学史料編纂所 編『大日本近世史料』《柳営補任 一》東京大学出版会、1963年3月25日。NDLJP:12279917。
- 堀田正敦等 編「巻第九十八」『寛政重修諸家譜』 第二(新訂)、続群書類従完成会、1964年6月15日。NDLJP:2983749/132。(要登録)
- 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典』 第4巻、東洋書林、1998年5月10日。ISBN 4-88721-306-9。
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