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畠山国祥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
畠山 国祥
時代 江戸時代後期
生誕 不明
死没 文化8年(1811年11月29日
別名 通称:栄三郎
官位 従五位下侍従紀伊守
幕府 江戸幕府高家旗本
主君 徳川家斉
氏族 高家河内畠山氏
父母 父:畠山国儔、母:市橋長璉
兄弟 女子、国祥、岩之進、熊之助
正室(松平乗友
基利
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畠山 国祥(はたけやま くにあきら[1])は、江戸時代後期の高家旗本

通称は栄三郎[1][2]紀伊守[2]

略歴

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畠山国儔の長男として誕生[1]。生母は市橋長璉の娘[1]

寛政12年(1800年)11月15日、11代将軍・徳川家斉御目見する。享和元年(1801年)12月4日、国儔の死去により家督を相続する。文化4年(1807年)4月25日、表高家より高家職に就き、従五位下侍従[3][2]・紀伊守に叙任する。

文化8年(1811年)11月29日、死去[3][2]。27歳[要出典]

妻は三河国奥殿藩藩主・松平乗友の娘[1]。息子・基利らの子女あり。

注釈

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  1. ^ a b c d e 堀田等 1964, p. 251.
  2. ^ a b c d 小川 1998, p. 2163.
  3. ^ a b 東京大学史料編纂所 1963, p. 48.

参考文献

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  • 東京大学史料編纂所 編『大日本近世史料』《柳営補任 一》東京大学出版会、1963年3月25日。NDLJP:12279917 
  • 堀田正敦等 編「巻第九十八」『寛政重修諸家譜』 第二(新訂)、続群書類従完成会、1964年6月15日。NDLJP:2983749/132 (要登録)
  • 小川恭一編著『寛政譜以降旗本家百科事典』 第4巻、東洋書林、1998年5月10日。ISBN 4-88721-306-9 
先代
畠山国儔
高家河内畠山家当主
1801年 - 1811年
次代
畠山基利