発子女王
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發子女王 | |
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久邇宮家 | |
続柄 | 多嘉王第1王女 |
身位 | 女王 |
敬称 | 殿下 |
出生 |
1911年4月16日 日本 |
死去 |
1915年6月26日(4歳没) |
埋葬 |
1917年7月2日 日本・京都市下京区今熊野町、久邇宮墓地 (現:京都市東山区) |
父親 | 多嘉王 |
母親 | 多嘉王妃静子 |
發子女王(はつこじょおう、1911年(明治44年)4月16日 - 1915年(大正4年)6月26日)は、明治、大正時代の日本の皇族。
生涯
[編集]1911年(明治44年)4月16日、久邇宮家の多嘉王と同妃静子の第1女子として誕生[1]。
1915年(大正4年)6月21日未明に突然発熱、嘔吐および粘液膿状の下痢により痙攣状態となった。その後徐々に衰弱、25日午後4時20分に危篤となり翌26日午前8時に薨去した[2]。
同年7月2日、京都市下京区今熊野町(当時、現:京都市東山区)の墓地(元法安寺跡)において葬儀が執り行われた[3]。
血縁
[編集]系譜
[編集]發子女王 | 父: 多嘉王 |
祖父: 朝彦親王(久邇宮) |
曽祖父: 邦家親王(伏見宮) |
曽祖母: 鳥居小路信子 | |||
祖母: 泉萬喜子 |
曽祖父: 泉亭俊益 | ||
曽祖母: 不詳 | |||
母: 静子 |
祖父: 水無瀬忠輔[注釈 1] |
曽祖父: 裏松勲光 | |
曽祖母: 不詳 | |||
祖母: 水無瀬富子 |
曽祖父: 東園基敬 | ||
曽祖母: 不詳 |