白勢黎吉
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白勢 黎吉(しろせ れいきち、1883年〈明治16年〉3月9日[1] - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。実業家。
経歴
[編集]新潟県北蒲原郡新発田町(現在の新発田市)出身[2]。今井文三の二男として生まれ、白勢家を継いだ[1]。1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、高等文官試験に合格した[1]。台湾総督府鉄道部書記、同事務官、交通局理事、鉄道部長兼総務課長、交通局総長を歴任した[1]。
退官した後は、台湾青果社長、常磐簡易火災保険会社常務取締役、東海運輸株式会社社長、台湾土地建物株式会社取締役、台湾乗合自動車事業組合理事長、台湾自動車事業組合連合理事などを務めた[3]。
脚注
[編集]- ^ a b c d 大衆人事録 1930.
- ^ 「元台湾総督府交通局総長白勢黎吉外二名同上(拓務書記官棟居俊一外五名賞与ノ件)ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A04018339600
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第3版』帝国秘密探偵社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版(上)』人事興信所、1943年。
公職 | ||
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先代 丸茂藤平 |
台湾総督府交通局総長 第6代:1929 - 1932 |
次代 堀田鼎 |