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白川忠富王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
白川忠富王
時代 室町時代
生誕 正長元年(1428年
死没 永正7年2月1日1510年3月10日
官位 正二位神祇伯
主君 後花園天皇後土御門天皇後柏原天皇
氏族 白川家
父母 父:白川雅兼王
養子:白川雅業王
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白川 忠富王(しらかわ ただとみおう、正長元年(1428年) - 永正7年2月1日1510年3月10日))は、室町時代日本公卿神祇伯になる前は白川忠富と称した。

生涯

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白川雅兼王の次男として誕生。

応仁元年(1467年)、従三位に昇叙し公卿入りを果たす。延徳2年(1490年)に資氏王の病気による辞任を受けて、神祇伯に任命され忠富王と称す。永正7年正月25日、病気のために養子・雅業に伯職を譲り、その5日後の2月1日に薨去した。享年83歳。

日記に『忠富王記』がある。

官歴

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系譜

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脚注

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  1. ^ 『公卿補任』後土御門天皇応仁元年条。「四月廿六日叙。元左中将。」とある。
  2. ^ 『改訂伯家家譜』(『伯家記録考』附録)忠富王の項。
  3. ^ 『公卿補任』後土御門天皇延徳二年条を最後に民部卿の文字が見えず。一時期兼任したか、もしくは転任したかは不明。

参考文献

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