白石達哉
Tatsuya SHIRAISHI | |
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基本情報 | |
名前 | 白石 達哉 |
生年月日 | 1962年1月12日(62歳) |
身長 | 181 cm (5 ft 11 in) |
体重 | 97 kg (214 lb) |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県 |
経歴 |
白石 達哉(しらいし たつや、1962年1月12日 - )は、福岡県出身のプロゴルファー。
来歴
[編集]14歳の時に、父親と練習場に連れられて、初めてクラブを握る[1]。その練習場の横にショートコースがあり、「あそこで1度まわってみたい」と言うと、「上手な人しか回れない」と諭され、本格的にゴルフを始めた[1]。
中学卒業後に地元の福岡国際CCの研修生となり、上田健次に師事し、1980年のプロテスト合格後は青木功の下でキャディなどをして腕を磨いた[1]。
ツアー時代の九州オープンでは1982年と1985年に4位タイ[2] [3]、1983年に藤池昇の2位[4]、1984年に渋谷稔也・鈴木規夫・秋富由利夫に次ぐ4位[5]、1987年に手嶋啓二と並んでの7位タイ[6]に入った。
1986年の水戸グリーンオープンで友利勝良・寺田寿に次ぐと同時に伊藤正己・橋本和夫と並んでの3位タイ[7]、1987年の関西プロでは秋富由利夫・上野忠美・中村忠夫と並んでの5位タイ[8]、1988年のハワイパールオープンでは横井ジョウジ・泉川ピート・近藤守と並んでの10位タイ[9]に入り、1989年のKPGAトーナメント(秋)で初優勝[10]。
1991年の中日クラウンズでは最終日を日本タイ記録の19パットで切り抜け、セベ・バレステロス(スペイン)、ロジャー・マッカイ(オーストラリア)に次ぐ日本勢最上位の3位に入り[11]、同年には初めて賞金ランクによるシード権を獲得[1]。
1992年にはマルマンオープンで8位[12]に入り、後援競技となった関東オープンでは最終日に18番をイーグルで締めくくるなど62をマークし、合田洋・丸山智弘にそれぞれ9ストロークの大差を付けて[13]2勝目[10]を挙げる。
1993年の大京オープンでは3日目に通算8アンダーで3位に浮上し[14]、最終的には牧野裕と並んでの4位タイ[15]に入った。
1994年から1997年まではアメリカ・フロリダ州でミニツアーなどに出場して修行を積み[1]、帰国後の2000年には西野カップオープンで2位タイ[16]、久光製薬KBCチャレンジでは浜野治光・入野太と並んでの6位タイ[17]に入った。宇部興産オープンでは初日を尾崎将司・芹澤信雄、スコット・レイコック(オーストラリア)と共に3アンダー4位タイ[18]でスタートし、3日目にはボギー無しの5バーディー[19]、通算7アンダーで2位に着けた[20]。最終日は15番まで2バーディ、16番でボギーを叩いて流れが悪くなったが、18番をバーディで締め、谷口徹と並んでの2位タイ[21]に入った。賞金も1176万と大きく稼ぎ、合計獲得額は2200万円を超え、来期シードを確保[21]。
2002年には住建産業オープン広島で谷原秀人と並んでの7位タイ[22]に入り、サントリーオープンでは自身ツアー2度目のホールインワンを賞のかかっていないホールで達成するが、“30回記念大会”にちなんで、主催者から賞金30万円を獲得[23]。
2006年の東建ホームメイトカップ[24]を最後にレギュラーツアーから引退し、シニア転向後も182cmの長身で安定した強さを見せている[25]。
主な優勝
[編集]- 1989年 - KPGAトーナメント(秋)
- 1992年 - 関東オープン
脚注
[編集]- ^ a b c d e “▼ トピックス 18番で11メートルのバーディを沈めて単独2位浮上”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “1982年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2024年7月21日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 九州オープン 1985 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “1983年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2024年7月21日閲覧。
- ^ “1984年度連盟主催上位成績表”. www.guk.jp. 2024年7月21日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 九州オープン 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 関西プロ選手権 1987 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “ハワイパールオープン”. 2012年2月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年7月21日閲覧。
- ^ a b “白石 達哉 シライシ タツヤ TATSUYA SHIRAISHI”. www.smile-pga.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “中日クラウンズ”. hicbc.com. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード マルマンオープンゴルフトーナメント 1992 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “Untitled”. www.kga.gr.jp. 2024年7月16日閲覧。
- ^ “1993年12月11日 3位に浮上した白石 大京オープンゴルフ第3日”. kyodonews.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 大京オープンゴルフトーナメント 1993 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “西野カップオープンゴルフトーナメント 2000 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 久光製薬KBCチャレンジ 2000 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “片山晋呉、好発進。ジャンボもまずまず”. golfdigest.co.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “首位交代。高見和宏がトップ浮上”. golfdigest.co.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “2000年11月04日 2位の白石達哉 宇部興産ゴルフ第3日”. kyodonews.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ a b “深堀圭一郎、猛攻で大逆転”. golfdigest.co.jp. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “フルリーダーボード 住建産業オープン広島 2002 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “白石達哉が、11番ホールでホールインワン!!”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “白石 達哉選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “ゴルフ侍、見参!【ゲストプロ】白石達哉”. www.tv-tokyo.co.jp. 2024年7月9日閲覧。