白雲座
白雲座 | |
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情報 | |
正式名称 | 白雲座 |
客席数 | 500 |
用途 | 大衆演劇 |
所在地 |
〒509-2424 岐阜県下呂市門和佐 白雲座 |
最寄バス停 | げろバス「中村」下車徒歩3分 |
特記事項 | 国指定重要文化財 |
白雲座(はくうんざ)は、岐阜県下呂市門和佐にある芝居小屋である。
概要
[編集]江戸時代から明治時代、美濃国及び飛騨国では、地元の人々による地芝居(歌舞伎)が盛んに行なわれており、数多くの芝居小屋が建てられた。この白雲座もその一つである。
毎年11月2日と3日、白山神社の秋祭で「白雲座歌舞伎大公演会」が上演される。
歴史
[編集]白雲座は、江戸時代末期に拝殿型舞台として建てられ、1890年(明治23年)3月に客席部を増築し、落成記念公演が行われた(舞台に残された落書きから判明)[1]。その後、明治30年代にかけて地元の人々による地芝居が行われたが、しだいに廃れ、時折、買い芝居(旅役者一座による興業)を行う程度となった[1]。
昭和に入ってから地芝居が復活したものの、戦争による中断を経て、再び地芝居の上演は中断される[1]。一時は白雲座を倉庫としたり、売却する話も出たりしたが、1968年(昭和43年)から地元青年団によって、地芝居が復活する[1]。その後、歌舞伎保存会も結成され、毎年11月、白山神社の秋の祭礼時に「白雲座歌舞伎」大公演会として、芝居が上演されている[1]。
白雲座歌舞伎の特徴として、振付は市川福升師、太夫・三味線は鳳凰座の竹本美功、豊澤順八両師他が担当しているが、その他の役者や裏方は地元有志によって行われている[1]。小学生による子供歌舞伎も必ず一外題上演される[1]。
年表
[編集]- 1890年(明治23年) - こけら落とし。
- 1943年(昭和18年)頃 - 太平洋戦争のため中断。
- 1950年(昭和25年) - 復活公演を行なう。
- 1952年(昭和27年) - この年の公演で休止。
- 1978年(昭和53年) - 国の重要有形民俗文化財に指定され、文化庁の指導による保存修理事業が行われる。これを機に白雲座歌舞伎保存会が結成され、地歌舞伎が復活する。
- 1981年(昭和56年) - 子供歌舞伎が開始される。
建築
[編集]白雲座は白山神社境内にあり、名称も白山神社に由来する。建物の規模は、間口約16.8m、奥行約20m[1]。切妻造、妻入りの総ヒノキ造りである[2]。小規模な芝居小屋とはいえ、回り舞台、花道、仮花道などを備えている。廻り舞台は直径5.4mのこま回し式舞台であり、全国的にも珍しい[3]。客席は一部二階建ての桟敷席、収容人数は約400人[1]。
交通アクセス
[編集]- 自動車
- 公共交通機関
- JR高山本線 下呂駅よりげろバス下呂上原線「中村」バス停下車。
岐阜県の芝居小屋
[編集]岐阜県は主に美濃地方を中心に地芝居が盛んな地域であり、江戸時代から昭和時代に建設された木造芝居小屋が残っている。主な芝居小屋は以下のとおりである。
- 鳳凰座(下呂市)
- 白雲座(下呂市)
- 黒川の東座(加茂郡白川町)
- 蛭子座(中津川市)
- かしも明治座(中津川市)
- 常盤座(中津川市)
- 五毛座(恵那市)
- 熊野座(恵那市)
- 美濃歌舞伎博物館 相生座(瑞浪市)
- 村国座(各務原市)
- 皆楽座(各務原市)座標: 北緯35度42分18.0秒 東経137度17分22.2秒 / 北緯35.705000度 東経137.289500度