益田町
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ますだまち 益田町(第一次) | |
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廃止日 | 1941年2月11日 |
廃止理由 |
新設合併 益田町、吉田町、高津町 → 石見町 |
現在の自治体 | 益田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 島根県 |
郡 | 美濃郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,494人 (国勢調査、1940年) |
隣接自治体 | 安田村、北仙道村、豊川村、吉田町 |
益田町(第一次)役場 | |
所在地 | 島根県美濃郡益田町 |
ウィキプロジェクト |
ますだちょう 益田町(第二次) | |
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廃止日 | 1952年8月1日 |
廃止理由 |
新設合併 益田町、安田村、北仙道村、豊川村、豊田村、高城村、小野村、中西村 → 益田市 |
現在の自治体 | 益田市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陰地方) |
都道府県 | 島根県 |
郡 | 美濃郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
22,059人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 安田村、北仙道村、豊川村、豊田村、中西村、小野村 |
益田町(第二次)役場 | |
所在地 | 島根県美濃郡益田町 |
ウィキプロジェクト |
益田町(ますだまち)は、島根県美濃郡にあった町。現在の益田市の一部にあたる。
地理
[編集]北は日本海に面していた。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、美濃郡益田本郷村が単独で町制施行し、益田町が発足[1][2]。
- 1941年(昭和16年)2月11日 - 美濃郡益田町、吉田町、高津町と合併し石見町を新設して廃止[1][2]。
- 1943年(昭和18年)7月15日 - 石見町が益田町に名称変更[1][2]。
- 1947年(昭和22年)12月1日 - 昭和天皇が工業学校、紡績工場などに行幸(昭和天皇の戦後巡幸の一環)[3]。
- 1952年(昭和27年)8月1日 - 美濃郡安田村、北仙道村、豊川村、豊田村、高城村、小野村、中西村と合併し市制施行して益田市を新設して廃止された。
地名の由来
[編集]かつて真砂田(良田の意)と称され、また沙田、益田とも記された[1]。
教育
[編集]- 1947年(昭和22年)- 益田中学校開校[1]
- 1948年(昭和23年)- 島根県立益田高等学校開校[1]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典 32 島根県
- 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。