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相原求一朗

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

相原 求一朗(あいはら きゅういちろう、1918年12月3日 - 1999年2月5日)は、日本の洋画家埼玉県川越町(現・川越市)生まれ。冬の北海道の詩情を描く洋画家の第一人者と言われた。新制作協会会員。

経歴

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埼玉県川越町(現・川越市)に生まれる。父・茂吉、母・よし。本名は相原久太郎[1](のちに求一朗)。生家は農産物の卸問屋で、恵まれた環境だった。1936年川越商業学校卒業。商業学校の商業美術担当教師から油彩を学んで東京美術学校進学を志すが、父親の逆鱗に触れ、家業を継いだ。1940年、21歳で兵役に就き、第二次世界大戦中は旧満州フィリピンを転戦。1944年、フィリピンからの帰還途中、搭乗した飛行機が沖縄沖に墜落。重傷を負って漂流していたところを救出される。

戦後の1948年、仕事の関係で大国章夫に出会い、抑えていた絵画熱が再燃。同年、猪熊弦一郎に師事する。1950年「白いビル」で新制作展初入選。1961年、北海道に写生旅行に出かける[1]。満州での体験を甦らせ、自身の原風景を発見する。1963年、「原野」「ノサップ」で第27回新制作協会展新作家賞受賞。1968年、新制作協会会員になる。1974年、第1回東京国際具象絵画ビエンナーレ招待出品。

1996年、北海道河西郡中札内村中札内美術村に相原求一朗美術館開館。2002年、生地の川越市に求一朗が自作を寄贈した川越市立美術館が開館。同館内に相原求一朗記念室が設けられるとともに、開館記念として「相原求一朗の世界展 自然の詩情」展が開催される。

受賞

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相原求一朗美術館

主な作品

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脚注・出典

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  1. ^ a b 浅見千里 2002
  2. ^ 相原画伯の「北の十名山」一堂に 川越市立美術館でジロジロツアー小江戸新聞「川越ほっと」(2010.01.22)2019年5月22日閲覧。

参考文献

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  • 浅見千里 著「相原求一朗年譜」、川越市立美術館 編『相原求一朗の世界展 自然の詩情』川越市立美術館、2002年、180-189頁。 NCID BA61219876 

関連項目

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